自由と制限
個展「Five Seasons」と、2人(3人)展「Quotations」が開催中だ。
前者は、フルアナログの写真展。
後者は、10の作品を10の異なる技法/媒体(ゼラチンシルバープリント、鉛筆画、動画、水彩画、リスプリント、油彩画、ピアノ曲、アンビエントミュージック、弦楽四重奏曲、アニメーション)で制作した。
そのなかで私が最も自由に感じた技法が油彩。逆に最も不自由に感じたのが写真だった。
それはもしかすると、写真が身近すぎて窮屈に感じるということとも若干関係あるかもしれない。
しかしそれ以上に、そもそも写真は制限のある媒体だと思っている。
たとえば油彩は、支持体も自由、描くモチーフも自由、絵の具の選択肢も多くあって、使う筆や言ってみれば描く場所だって自由だ。
対する写真には、各種の制限がある。私がやっているゼラチンシルバーなら、フィルムや印画紙の種類も限られるし、光の条件が揃わなければ画が残らない。暗室でプリントしなければならないということもある。
もっと自由に思えるデジタルも、たとえば色において、メーカーがつくったアルゴリズムの範囲を超えることは、少なくとも撮影時にはない。現代のデジタルカメラは、いろんなことをユーザーが考えなくても自分でつくらなくてもできるようにメーカーがお膳立てしてくれている道具。そこには便利さと同時に制限も当然生まれる。
しかし、自由とクリエイティヴィティは必ずしも比例するわけではない。
制限があるとよけいに創造性(想像性)が発揮できることはよくある。
振り返ってほしい。たくさん交換レンズを持っていった旅と、1本だけ持っていった旅と、どちらが納得のいく写真が撮れただろうか。
ギターソロが、オーケストラに常に劣るだろうか。
まあ、そうは言っても油彩の自由さは、久々にやってて楽しかった。いま乗っているピストバイクくらいの軽快さだった。9点を仕上げて最後に制作したからよけいにそう感じた。制限は乾くのに時間がかかったことくらい。それとても制作の冷却期間として機能した。50歳で画家転向宣言しようかな(しないけど)。
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