August 07, 2008
August 02, 2008
July 30, 2008
thank you
写真展「Contracts I」を終えました。
お越しくださった方、文字通りの猛暑の中、ありがとうございました。たくさんの励みになるお言葉をいただき、うれしく思いました。
さて、展覧会というのは、五感すべてが大切だと、つくづく感じました。流す音楽はもちろん、匂いや気候までもが写真の印象を微妙に(ときに大きく)変えます。
今回は、暑い晴れの日が多かったのですが、夕立の降った日は確実に写真の印象が変わり、不思議と見に来てくださった方のフィードバックも、よりポジティヴでした。
楽日である昨晩は、山手線が止まるほどの雷雨でした(みなさん、お帰りは大丈夫でしたか?)。関東の梅雨明けと初日が重なったのでついに雨男は返上かと思っていたのですが、まだまだそうはいかないようです。
年内にあと一回は写真展をやるつもりでおります。引き続き雨男の応援をよろしくお願いいたします。
July 16, 2008
在廊予定
写真展「Contracts I」の作者在廊予定です。
もしかすると、下記以外の日時にいることもあるかもしれませんし、在廊予定としておきながら留守にすることもあるかもしれません。
19(土)終日
20(日)15-17
21(祝)たぶん終日
22(火)-
23(水)- ギャラリー定休
24(木)19-21
25(金)19-21
26(土)きっと終日
27(日)できれば終日
28(月)未定
29(火)未定
また後日アップデートします。
>> 7/19-29 安達ロベルト写真展「Contracts I」
■7/22追記:
28(月)19-21
29(火)19-21
たぶん、こんな感じです。
入りの時刻は多少前後する可能性大です。
ぜひお越しください。
July 09, 2008
50ミリと35ミリ
久しぶりにレンズの話。
50ミリには、存在が写る。
35ミリには、関係が写る。
みたいなことをよく感じる。
言い換えると、
50ミリにはモノが写る。
35ミリには場が写る。
たとえば人を撮る場合、その人自身を撮りたいとき、私は50ミリを選ぶ。
その人がいる場も含めて撮りたいときは、35ミリを選ぶ。
50ミリが「図書館にいる彼女」を写すのに対し、
35ミリは「彼女と、その彼女のいる図書館」を写す、といったところだろうか。
もちろん、すべてのシチュエーションにこれがあてはまるとは限らないし異論もあるだろう。だからむしろ、私が二つの焦点距離をこのように使い分けるのが好きだ、ということなのかもしれない。
(c) Robert Adachi all rights reserved
July 01, 2008
Exhibition "Contracts I" 写真展のおしらせ
English >>
*/*.*//**../**
来る7/19-29に、ギャラリー・トリコにて写真展「Contracts I」を行います。
今回は「横浜」「鎌倉」という二つのモチーフを取り上げた作品群。
前回の「Awareness」以上に少数先鋭です。
お勤めの方にもやさしい夜中心のオープン時間。
ぜひお越し下さい。
作者在廊予定は後日当ブログで連絡します。
くわしくはこちら >>
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安達ロベルト写真展
Contracts I
コントラクツ第一楽章
2008年7月19日(土)〜29日(火)※水曜休み
15:00〜21:00 入場無料
gallery torico
東京都港区元麻布3-12-35
電話 050-3564-1250
June 19, 2008
June 16, 2008
June 13, 2008
June 10, 2008
June 07, 2008
June 04, 2008
June 01, 2008
May 23, 2008
May 20, 2008
May 13, 2008
一杯のコーヒーから(5)
ときどき、コーヒーが苦手だという人に会う。その理由をよくよくきくと、どうも「胸焼けするから」というのが多いことが分かる。
胸焼けは、コーヒーそのものではなく、「鮮度」に原因があることが多い。
鮮度には、豆そのものの鮮度と、いれた後の液体の鮮度と、大きく分けて二つある。
豆の鮮度は、抽出時にフィルターにお湯を注いだとき、豆の粉が沈没するよるならもうそれは古い豆だと思っていいだろう。状態にもよるが、焙煎から1ヶ月、開封してから1週間から10日くらいが目安。コーヒー豆も生鮮食品だと思って、少量を頻繁に買うのがベスト。
もう一方の液体としてのコーヒーの鮮度は、これを過小評価している人は案外多い。コーヒーメーカーで落とした後、どれくらい保温したままで置いておいていいかというと、最長1時間だと思っていいだろう。それ以上保温されたコーヒーは、煮詰まってしまっていて、胸焼けの原因になる。
ちなみに、マクドナルドは抽出してから30分、スターバックスは1時間で破棄している。
面倒くさい、もったいないからといって、職場のコーヒーメーカーの煮詰まったコーヒー飲んでませんか?
ホテルの朝食バイキングのコーヒーも、煮詰まっていることがあるので要注意。
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May 10, 2008
一杯のコーヒーから(4)
好きな豆は何かと訊かれることがあるが、けっこう回答にこまる。なぜなら、答えが「条件つき」になるからだ。つまり、好きな豆はあることはあるが、ある条件を満たしていなければ好きだとは言い切れない、ということだ。
その条件とは何かというと、鮮度などももちろんあるのだが、大きなものとしては「焙煎」がある。
単に深煎りか浅煎りかということだけでなく、焙煎のよしあしも私にとっては大切な条件だ。
ここまで読まれると、なんて面倒くさい奴なんだと思われるかもしれないが、たとえば米なら、多くの日本人が、産地で選んだり、炊飯器の性能や炊け方を氣にしたりするだろう。それと同じこと。私にとってコーヒーは、米と同じくらい日常的なものなのだ。
で、自分好みの焙煎という条件を満たしたとして、好きなのは、「グアテマラ」と「モカ」系全般。
グアテマラは、キレがあって、ほんのり甘くて、後に引かない感じが好きだ。かつて友人の友人からいただいた、腕利きロースターに焙煎してもらったグアテマラ・ピーベリーを飲んだ時の感動は忘れられない。
モカは、日本でモカと言うと、古い世代の人々の間ではさっぱりしたコーヒーの代名詞のようになっているようだが、一口にモカといってもいろいろある。焙煎によっても印象ががらりと変わる。個人的にはハラーやサナニあたりの、深煎りにしたときの赤ワインを思わせる芳醇な風味が好きだ。
余談ながら、シアトル系のカフェに初めて行った人が、「カフェモカ」をストレートコーヒーの「モカ」だと思って注文したら、まったく別な甘い飲み物が出てきて困ったという話はよくある。
(つづく)
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May 06, 2008
一杯のコーヒーから(3)
コーヒーを飲んでいつも面白いと思うのが、同じコーヒーでも、抽出する人によって味が違うということ。
私のよく行くカフェでは、オーナーである世界バリスタ選手権1位のオーストラリア人バリスタを先頭に、同じブレンドから一人ひとりまったく違う味のエスプレッソを抽出してくれ、飲み手を楽しませてくれる。
同じカメラやレンズ、フィルム、印画紙を使っていても、一人ひとり写真のトーンが違うのと一緒。不思議だが、だからこそ面白い。ちょっと大げさに言えば、言葉ではウソがつけても、コーヒーではウソはつけない。
自分でコーヒーをいれはじめたのは、10年くらい前だろうか。友人たちと旅行に行ったとき、たまたま宿にあったものでつくったら「アダチのいれるコーヒーは美味い」とおだてられてその氣になった(笑)。その後エスプレッソは8年、ネルドリップは4、5年くらいやっている。
先日の写真展では、時間があるときは、その人に故郷や仕事の話を聴いて、それをイメージしながらネルでコーヒーをいれた。そのようにいれたコーヒーはたいがい、そのことを伏せていても、不思議と本人に絶賛された。いわば特定の飲み手にチューニングされたコーヒー。そういう芸当ができるようになったのは、ごく最近のこと。
飲み始めて十数年。いつの間にか、もう引き返せないところまで来てしまったようだ。
(つづく)
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May 03, 2008
一杯のコーヒーから(2)
コーヒー抽出法の双璧は、ネルドリップとエスプレッソだと思う。
ネルドリップというのは、布フィルターで落とすドリップコーヒーのこと。紙フィルターと原理は似ているが、味は随分違う。紙フィルターより、味がまろやかで、液体もとろっとした印象になる。
ネルは扱いが面倒と言って敬遠する人も多いが、そんなことはないと思う。コーヒーメーカーに比べれば確かに手間はかかるが、同じ豆から落としたとは思えないほど違う味になる。
一方、エスプレッソは、細かく挽いた豆に高圧力をかけて抽出するコーヒーのこと。イタリア語で「エクスプレス」を意味するように、ドリップコーヒーに比べて抽出時間が短い。スターバックスの登場により、日本でも近年かなり一般的になった。
どちらのほうが好きかと問われれば、両者は同じコーヒーだが別物で、どちらも同じくらい好きだと答えるだろう。ただし、素人にいれてもらうなら、エスプレッソのほうがはずれが少ないのでそちらを選ぶだろう。
ネルドリップとエスプレッソ、どちらもおいしく抽出できるようになるのには、それなりの訓練が必要だ。好きが高じて自分でもいれるようになったのだが、少なくとも私の場合はかなりの時間がかかった。ネルドリップにいたっては、満足のいく味を出せるようになるまで、2年は要しただろうか。
その甲斐あってか、今では周囲から「カフェでもやったら」とお世辞を言われるくらいにまではなった。さすがにカウンターに立つつもりはないが、オーナーはいつかやってみたいなぁ。
(つづく)
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April 30, 2008
一杯のコーヒーから(1)
私は自他ともに認める大のコーヒー好きだ。どれくらい好きかというと、うちのネコのエミリオの次くらいに好きだ(かえってわかりづらいか)。
コーヒーをほとんど飲まない家で生まれ育ったので、コーヒーに目覚めたのは案外遅く、22、3の頃。ちょうどアートを志したのと時期的に重なる。
「目覚めた」と言ったのにも意味があって、コーヒーを飲み始めたきっかけが、実は眠気覚ましのためだったのだ。
大学生の時分はやたら忙しく、眠い日が多かったので、どうしたら日中しゃきっとできるか、その方法を探していた。いろんなお茶、アルコール(!)などを試したが、あるとき、コーヒーを飲んだら急に頭が冴えて、気持ちが大きくなったことがあった。
そのとき飲んだのは、学食のおばさんがいれてくれたコーヒーだったから、今振り返ればそれほどハイクオリティのものだったとは思えないのだが、コーヒーの「免疫」のない私には、けっこう効果があったようだ。それ以来、目の覚めるコーヒーを求め続けるようになってしまった。
もともと胃腸が強いほうではないので、飲み過ぎたり、質の悪いコーヒーを飲むと、かえって疲れる、眠くなることがあるということも分かった。そういう背景もあって、良くも悪くも、どんどん良質のコーヒーを求めるようになっていった。またある時点から、覚醒効果だけでなく、味のよしあしも求めるようになった。
幸か不幸かそれはそれはカメラのレンズ沼のようなもので、求めれば求めるほど魅力的なコーヒーが出てきたのである。
(つづく)
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April 20, 2008
April 18, 2008
写真展めぐり
昨日、時間ができたので、半日かけて3つの写真展を廻った。どれもモノクロームの写真展だったが、それぞれに個性があって、面白かった。
最初に行ったのが、菊地久子写真展「Side by Side」。すべて銀塩スクエアフォト。
今回の展示ではないが、過去に菊地さんの病院での写真を視て、感銘を受けたことがある。下手をすれば生活臭むんむんの写真になりかねない病室というロケーションで、やさしく、清潔で、前向きな写真を撮っていたのが非常に印象的だった。
今回の写真展は、ご本人いわく、人物から離れて、風景や物を中心に撮ってみたとのこと。彼女の挑戦を私は評価したい。
次に行ったのが、木村直人写真展「Wind and Window」。
こちらもスクエアフォト。欧米の写真事情にも詳しい木村さんの、こちらもある意味で日本の写真界の主流に挑戦するようなスタンスでの展示。写真にはエディションが振られ、タイトルに並んで値段がつけられている。
だが、写真そのものは、木村さんの静謐な視点。止まっているようで動いていて、動いているようで止まっている、独特の切り口だ。あえて雄弁には語らず、聞こえる人にだけ聞かせる。おだやかな確信に満ちた空間だ。
最後に行ったのが、ライカギャラリーでの上田義彦写真展「at Home」。
一般公開に先駆けてのパーティー会場だったので、人がとにかく多かったが、作品を一つひとつじっくり視ることは、かろうじてできた。
写真集が出る前から上田さんのファミリー写真は雑誌で視て、ものすごく好きだった。ローキーでローコントラストなのに、すべてのディテールとあらゆるドラマが見える上田調のプリントに驚いたものだ。何年か前のエプソンでのインクジェット展にはあえて行かず、今回はじめてオリジナルプリントを視た。
たった一点のハイエストライトを残してあとはぎりぎりまでグレーに沈めるプリントに、氏の自信と執念と美意識を感じた。
かれん夫人とエリオット・アーウィットさんも列席していた。ご本人と挨拶したとき、氣の利いたコメントが一切言えず、帰宅時にかなり後悔。

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玄光社「カメラ・ライフ」発売
「コマーシャルフォト」誌などで有名な玄光社さんから、あたらしいムック「カメラ・ライフ(略してCL)」が発売されました。

カメラと旅をテーマにした第1号。
読めば、好きなカメラを持って旅に出たくなりますよ、きっと。
私は「CLピープル」というセクションで、2004年のラオスでの写真を載せています。最近はあまり撮らなくなった「人」が中心のモノクローム旅写真2点。こういう写真もたまにはいいものですね。
ぜひ書店で手に取ってご覧ください。
そして、できればレジまで手に持ってお運びください。
ムックの詳しい中身はこちら>
April 16, 2008
April 14, 2008
thank you
写真展「Awareness」が終了しました。
ひとことで言えば、タイトルの通り、「氣づきに満ちた」写真展でした。
お越しくださったあなたに感謝です。
同じネガからプリントしても一枚一枚微妙にトーンがちがうように、同じ人間でも一人ひとりが微妙に異なる感性を持っていて、だからこそ共感しあったり影響しあったりして生きていることがおもしろいということを、あらためて感じることのできた一週間でした。
撤収後まもなく余韻がフェイドアウトしたので、氣持ちはもう、次。
同時開催のお誘いをくださり、期間中もずっと助けてくださった、敬愛する写真家にしてプリンターの加藤法久さんには、最上級の感謝をしてます。
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April 04, 2008
在廊予定
写真展「Awareness」の作者在廊予定です。
8日(火):終日
9日(水)、10日(木):時々います(笑)。運がよければ(わるければ?)会えるでしょう。
11日(金):終日
12日(土):14:00~
13日(日):終日(~17:00)
写真展の詳細はこちら>
お待ちしてます!
March 30, 2008
写真に写るもの(2)〜生活感
「写真(プリント)には撮る人の生活感が出る」と、先日あるインタビューで答えてびっくりされた。「生活感」という言葉がインタビュアーには新鮮だったのだと思うが、写真をやればやるほどそう感じるようになったというのが本音だ。
昨年、ある写真家と ー短期間ではあったがー 日常を共にする機会があった。そこで発見したのは、彼の日常が、彼の撮る写真に似ているということだった。彼の写真に見える美意識は、彼の生活の隅々に同じように浸透していたのだ。
前回のエントリーで述べたような距離感の近い「ウェットな」プライベート写真を日本人写真家が多く撮るのは、おそらく彼らの生活がウェットだからではないだろうか。
この意味で写真は、着るものに似ているのかもしれない。
たとえば結婚式に行くと、一様に皆立派な服を着ているが、それぞれ生活感が滲み出ていて、しっかりと「その人の」服になっているからおもしろい。日ごろから清潔にしている人、いない人、ものを大切にする人、しない人、そういう服を着るシチュエーションに馴れている人、いない人等々がなんとなく読めてしまう。同じ服でも着る人によって印象が違うのは、体型のせいだけではないのだ。
美しい写真が撮りたければ、日常を美しくするしかない。かっこいい写真が撮りたければ、生活をかっこよくするしかないのではないか。
(c) Robert Adachi all rights reserved
● 4/8-13 写真展「Awareness」詳細はこちら>
March 26, 2008
写真に写るもの(1)〜距離感
「写真と距離感」ということを近頃よく考える。むろん、撮る側、作者にとっての距離だ。
それは、物理的な距離感はもちろんだが、むしろ心理的な距離感のことだ。
私の周囲には、写真から作者の心理的距離感を読み取ることに長けている人がいて、そういう人に写真を見せると、構図やトーンやテーマの前に、しばしば心の距離を指摘される。
たとえば、同じ人物スナップでも、「これは家族でしょ」「これは知らない人でしょ」と、あっさりとばれてしまう。不思議だ。
ただし、心理的距離が近ければいい写真かというと決してそんなことはなく、逆に近すぎて押し付けがましい、見ていて苦しくなる写真というのも(特に日本にはたくさん)ある。
私の場合、撮るときも、ネガをセレクトするときも、プリントするときも、距離感をできるだけ意識するよるようにしている。が、とっさの状況ではそういうわけにもいかないし、まして自分のことだから、けっこう分からないものだ。
また、物理的な距離感が心理的なそれにかなり影響を与えるとも感じていて、カメラやレンズをころころ替えると、心の距離も、ブレやすくなるように思う。
理想はいずれ「生涯ワンボディー/ワンレンズ」になることだが、そんな無理な理想は口にするものじゃないと、諸先輩方におこられるだろうな。
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● 4/8-13 写真展「Awareness」詳細はこちら>
March 22, 2008
フォトコン
告知が遅れましたが、現在発売中の「フォトコン」4月号に、「モノクロ写真の楽しみ方」というテーマで書いています。ぜひ書店で手に取ってご覧ください。
未発表のパリの写真も載っています。
メインはモノクロームの魅力についての2ページの記事ですが、別ページで、銀塩の「現像→プリント→フィニッシュ」という一連の流れについて、簡単ではありますが、私なりのやり方を書いています。
デジタルと違い、銀塩の暗室ワークは、何年も前から根本的な部分ではまったくやり方は変わっていませんし、また、私よりもキャリアの長い方も多く読者さんにはいるわけですから、あくまでも「私の場合はこうしています、ご参考までに」というスタンスで書いているつもりです。
これからも、つくる側、みる側両方にとっての、モノクロームの魅力、プリントの魅力を伝える仕事ができればいいなと思っています。
(c) Robert Adachi all rights reserved
March 15, 2008
exhibition "awareness"
来る4月8日(火)~13日(日)に、東京渋谷のルデコで写真展「Awareness(アウェアネス)」を開催します。
"Awareness"とは、「氣づき」とか「認識」の意。
「水」と「時」という二つのテーマにもとづいた私なりの「氣づき」をご覧ください。
オール銀塩モノクロプリント。
少数先鋭で展示します。
現在、私にとってブログは、「作品」を発表する場ではないのですが、写真展は、ブログには載せない「作品」を発表する場と考えています。ぜひいらしてください。
詳細はこちら>
また、加藤法久さんの写真展「くらい to くらい」がルデコの別階で同時開催されます。モノクロファンでなくとも一見の価値ありですよ。
(c) Robert Adachi all rights reserved
March 06, 2008
February 29, 2008
February 21, 2008
February 18, 2008
once in a lifetime (2)
レンズは、50mmと90mmを使おうかとはじめは考えていたのだが、結局35ミリと50ミリにした。ウェディングドレスを超広角で下から、みたいな素人発想はなし。オーソドックスな画角のほうが、後々飽きの来ない写真になると思う。
50ミリのレンズは別の選択肢もあったのだが、本人たちからのリクエストが、ズマールを選ぶ決め手になった。それは、「お腹の赤ちゃんに新郎が(日課として)話しかけている姿を撮ってほしい」というものだった。
先日、アルバムを直接本人に手渡し、一生に一度のセレモニーを記録する大役を果たせて安心した。Kさん、Uさん、末永くおしあわせに。
Robert Adachi all rights reserved
February 14, 2008
once in a lifetime (1)
先月、友人からの依頼で結婚式を撮影した。いわゆる「できちゃった婚」であったが、それゆえに二人の絆は固く、ファインダーを覗きながら感動するシーンが多々あった。本当にいい式だった。
私は、どうしてもカラーでとかデジタルでとかいう依頼がない限りは、ライカでモノクロフィルムで印画紙プリントでということにしている。それにはいくつか理由がある。
一つ目は、それが私の最も慣れ親しんでいる組み合わせだから。文字通り一生に一度の大切なセレモニー。撮り損ねるなどということがあってはならないわけで、できることなら、クセもなにもかも熟知している、最も信用のおけるものを使いたい。
もう一つは、モノクロ写真は、カラー写真に較べて、その時の想い出の印象に忠実だと思うからだ。できるなら、将来30年、40年と連れ添ったあと、二人で眺めて懐かしいと思えるようなアルバムにしたい。
そして、私個人がまだ、バライタ印画紙のモノクロプリントに勝るものがないと思っているからだ。
Robert Adachi all rights reserved
February 10, 2008
polaroid drops instant film
今朝、CNNニュースを観ていたら、ポラロイドがインスタントフィルムの製造を止めるというニュースが流れた。
http://www.dailypress.com/business/dp-biz_marketbrfs_02091feb09,0,6958469.story?track=rss
ポラロイド社では、インスタントカメラの製造は2年前に既に止めており、インスタントフィルムは今後1年間の販売となる。その後は、フジが世界で唯一インスタントフィルムを製造する大手メーカーになる、とニュースでは言っている。
「ポラを切る」(フィルム撮影の前にインスタントフィルムでテスト撮影をすること)という業界用語があるのだが、それも今後は「フジを切る」になるのか?!
冗談はさておき、ポラロイドのインスタントフィルムには、単にインスタントということだけでなく、独特の色合いで多くのファンがいる。
私は作品にポラロイドを使っていないが、一度は使おうとしていろいろリサーチしただけに、その魅力は知っている。また一つ、写真表現の選択肢が減り、残念だ。

February 07, 2008
the tone
もう20年以上も前のことであるが、異国の地で、もっぱらたいくつしのぎとさびしさをまぎらわせるため、毎日鉛筆画を描いていた時期があった。
そのころは主にポートレートを描いた。ポートレートは、 身体や顔の個々のパーツのバランスを丁寧に捉えなければならない。 と同時に、その人らしい特徴もつかまなければならない。それらすべてが違和感なく紙の上に収まって、はじめてポートレートと呼べるものになる。けっこう難しい。
鉛筆画の魅力は ー いまになって分かったのだが ー、モノクロ写真と似ている。つまり、黒と白の濃淡だけですべてを表現するという点にある。しかも、鉛筆と消しゴムと、あと日本では見かけない一つの小道具を使うだけで、独特のグレーを帯びた、非常に緻密な表現ができる。このシンプルな原理で無限のトーンが出せるという点が、私の性に合った。選んだ題材にたまたま恵まれたせいもあり、最初の作品でいきなり学校で評判になった。その後周囲からもよく「私にも描いてほしい」と言われ、嬉々として夜を徹したものだ。
そんな十代の頃の記憶は、すっかりどこかに忘れていたのだが、ギャラリー・バウハウスで開催中の「清家冨夫写真展 West Pier」をみて、それがリアルに甦ってきた。
清家氏は、写真に対する基本的な姿勢は一貫させながらも、毎回違うスタイルで、観る者を驚かせる。今回は中判による撮影と聞いて、勝手にいろんなイメージを想像していたのだが、もののみごとに裏切られた。その驚きの中身はぜひギャラリーで発見してほしい。
それとは別に今回の新作には、不思議な既視感があった。はじめその理由が分からなかったのだが、ギャラリーを去る直前になって、それが作品のグレートーンによるものだと気が付いた。約20点のイメージの中には、かつて私が異郷の田舎の家で、ちいさなライトの下で夢中で追いかけた、あのトーンがあったのだ。
それともう一つ。あえてタイトルへの言及は避けるが、West Pierの作品以外に、凝視すると泣いてしまうかもしれないと直感し、本心とは裏腹に、とっさに通り過ぎてしまった作品がある。こういうことを実はほとんど経験したことがない私は、少々戸惑った。次回ギャラリーに行くときもまだ、凝視できないかもしれない。





































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