2017年5月18日 (木)

幼少年期にのめり込んだことを今に活かす

写真をやっているときのわくわくする心の動きが、何かに似ているなあと思っていたら、小学生のときにやっていた釣りじゃないかと思い立ちました。そのころはもっぱら川や池などで釣っていて、釣り大会に出たこともありました。

釣りは、目的の釣りたい魚がいて、何日か前から準備して、当日は朝早く起きてポイントに行って計画通りにスタートするわけですが、天候や水のようすから、現場でポイントや仕掛けに若干の変更を加えていきます。

その結果、釣れるときもあればそうでないときもあります。釣れればもちろんうれしいですが、そうでなくても、その一連の行為がたのしいのです。

写真家には大きく分けて「シューティングタイプ」と「フィッシングタイプ」の2種類がいると言われていて、私は間違いなく後者。準備して、待って、タイミングが来たときに合わせる、という撮り方。前者は、途中までは似ていますが、最後のところで獲物のタイミングではなく自分のタイミングでズキュンと撃ち抜くわけです。

道具がよくなれば上手になるような幻想を抱かせてくれるところも釣りと写真の似ている点です。

それから、高校時代、アメリカに住んでいた時分に、たくさん鉛筆画を描きました。田舎だったので車がなくては放課後は何もできなかったので、毎日画を描いているか走っているか、みたいな感じでした。

もっぱら人物を描いていました。友人知人から描いてほしいと依頼されることもあれば、こちらから勝手に描くこともありました。

振り返ると、その鉛筆画は、私が今モノクロフィルムで撮って印画紙に焼き付けていることと本質的に変わらないと思います。

才能というのは人それぞれで、どのような分野でも、第一線で活躍する人はたいがい、かたちはちがえど、幼少年期にたくさんやったこと、たくさん学んだことを活かしています。

例えば、少年期のプリンスはまったくモテずギターばっかり弾いていたとか、村上春樹さんは本をとにかくたくさん読み音楽をたくさん聴いていたとか、そういう話をよく聞きます。

私が彼らに匹敵するとかそういう話でなく、やはり昔たくさんやっていたことを活かすことが活躍できる方法なんだなとあらためて実感しているという話です。

だれにでも1つや2つ、幼少年期にのめり込んだことがあると思うのです。大人になってから新しいスキルを学ぶのもいいのですが、そこに、幼少年期にうんざりするほどやったことを活かすという意識を加えるだけで、ずいぶん結果がちがうはずです。

今月末に始まる写真講座「光の時」では、各自が幼少年期に経験したこと、獲得したことにフォーカスして、それを写真に反映させるということもやってみたいと思います。まだ空席があるようなので、興味のある方はぜひ連絡を取ってみてください。

写真講座「光の時」詳細は→こちら

Seki

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2017年5月 2日 (火)

シンプルなことを徹底的に考える

「慈眼寺」「さまよえる魂」、盛況のうちに終了しました。お越しくださった方、応援くださった方、スタッフの皆さま、俳優のお2人、演奏家のお2人、本当にありがとうございました。

観に来てくれたアーティスト仲間が感想メールをくれたので返事を書いていたら、書きながらいくつかきづきがありました。

まず、私が演劇で生演奏を使うのが好きなのは、画家が画肌を大切にする感覚に近いのかなということ。

生演奏のテクスチャー、レイヤーは、デジタル録音をスピーカーで流すものとずいぶん違います。

画のテクスチャーやレイヤーも、厚みとヴァイブレーションを感じさせ、見る人に身体感覚として伝わります。Photoshopで画肌のテクスチャーを加えた画と、実際に何重にも塗り込んだ画肌では、仮に表面の模様がいっしょでも、まったくちがう印象を持つのが人間です。同じようなことが音楽にも言えるのです。

ちなみに、この画肌の感覚、写真で出すのは、とてもむずかしいのです。少なくとも、紙を高級にしたらいいとか、そういう次元のものではありません。

つぎに、作曲や脚本は私にとって、「記号」をつくる作業ということをあらためて確認しました。その記号は、指揮者や演奏家、演出家や俳優が自由に解釈できます。

作者本人が演出もしているので、さぞ思い通りのものをつくっているだろうと思われがちですが、実はステージで披露されるものは、当初の構想とはけっこうちがうものです。なぜなら、奏者、演者の解釈がそこに加わるからです。

100%コントロールできない、いやむしろコントロールしない、その「委ねる」感覚が、私はすごく好きです。

もちろん、委ねる相手は誰でもいいわけではなくて、この人に委ねたいという演奏家や俳優と組んでやっているわけです。

写真でも同じようなことがあります。それは、プロのプリンターにプリントをお願いするとき。ネガという楽譜をプリンターさんの解釈で演奏してもらう感覚です。私にとって、ネガは複数の解釈が可能な「記号」なのです。

楽譜という記号を演奏家が作曲者の想像を超える音で奏でてくれるように、プリンターさんがその技術で美しいトーンの写真に仕上げてくれるわけです。

もう1つのきづきは、演出は私にとっては料理に似ているかもということ。

レシピと素材を用意して、自分なりの仕上がりの構想を持ちながらも、現場の状況から、火加減、味付け、分量の調整をしつつ、最終的に美味しいと思えるものに仕上げます。

味の好みが人それぞれなのと同じように、演出の好みも人それぞれですので、落としどころの判断はむずかしいのですが、私の場合、料理がそうであるように、演出も比較的大味、あるいはシンプルかもしれません。

そう考えると、自分的に最高のごちそうであり得意料理がおにぎりと味噌汁なので、演出や作品も、それくらいシンプルなものに徹してもいいのかもと思ったりもします。

シンプルなことを徹底的に考える。もうちょっとそういうことをやろうと思いました。

Pilgrim

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2017年4月26日 (水)

写真を作品に変えるヒント

写真は一昔前と比べてずいぶん変わりました。

フィルムからデジタルになり、しかも誰もが持ち歩く携帯電話にカメラが入ったことで、写真を撮ることが日常的になりました。そのうえ、紙にプリントしなくともインターネットでかんたんに人に見せたりあげたりできるようになりました。紙で写真をあげると「データがほしい」(苦笑)と言われる時代です。

二昔前だと、写真は誰かカメラを持っている人にお願いして撮ってもらったものです。いまスクショと呼ばれるメモ代わりの写真は、もったいなくて撮れませんでした。高度な近接技術がなければいけかったのですから。カメラに入れたフィルムを1年かけて撮り切るみたいなこともよくありました。

でももう、特殊な撮影を除けば、誰もが好きなだけ好きな写真を撮れる時代になりました。

するとその間に、「写真作品」と呼ばれるものも当然、大きく変わりました。

以前は、フォトジェニックな被写体やあまり人が行ったことのない土地を、きれいな構図と適正な露出で撮ってきちんとプリントすれば「作品」と呼べたものです。

いまはどうでしょう。

ためしにInstagramを#landscapeというタグで見てみましょう。約5600万の写真がそこにあります。「いい写真」「上手な写真」と呼ばれそうなものも無数にありますね。

でも、「いい写真」「上手な写真」というだけでは、「作品」になりづらくなってきたのです。それは読者の皆さまの多くも実感しているのではないでしょうか。

作品に求められることは2つあると思っています。

1つは「アイディア」。

アイディアと一口に言っても、コミカルなアイディア、シリアスなアイディア、視覚的アイディア、文学的アイディア、ジャーナリズム的なアイディア等々さまざまあります。

例えば、林ナツミさんの「本日の浮遊」。

じーんと感動したり、考えさせられるものではありません。視覚的におもしろい!と思えるアイディアです。

写真が誰にでも簡単に撮れるようになった現代だからこそ、アイディアをすぐかたちにしやすいのです。

また、1枚では成立しないアイディアも、複数枚の組写真ならかたちにすることができますね。

もう1つ作品に求められるのが「驚き」。

例えば、Dan Mountfordの多重露光作品

いまでこそ多くの人が彼のマネをするようになりましたが、彼が学生時代につくった作品は衝撃的でした。

このように、影響力のある作品にはなんらかの「驚き」があります。

来月神戸で予定されている2日間の講座では、これら写真を作品に変えるためのヒント「アイディア」「驚き」をもっと深く掘り下げ、実践もふくめてレッスンをたっぷり行います。定員が20名と限られていますので、申し込みはお早めに。

また、このブログを見て申し込んでくださった方は当日「ブログ見た」とおっしゃってください。私個人からステキな(たぶん)プレゼントを差し上げます。

2017/5/20-21
波止場の写真学校 神戸本校
「安達ロベルトによる 新しいシャシンの授業」
〜写真を「作品」に変える4つのヒント

詳細はこちら

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2017年4月20日 (木)

原点を思い出す

ここ数日、原点を思い出させてくれることがいくつかあった。

1つは写真、1つは音楽。

数日前、ライカショップ銀座でセンサークリーニングの手続きをしていると、紳士がこちらに手を振っている。セイケさんだった。

その後近くのカフェで数年ぶりにゆっくりお話させていただいた。ライカのこと、カメラ業界の将来のこと、フィルムのこと、デジタルのこと。

そのなかで、印画紙、とくにカラーがなくなるかもしれないという話のとき、プラチナなど古典技法なら印画紙がなくなっても大丈夫と私が言うとセイケさんが「現代のプラチナプリントなら、ゼラチンシルバーのほうがはるかに美しい」という意味のことをおっしゃった。

私がゼラチンシルバープリントの美しさとそのポテンシャルにきづいたのは、セイケさんの作品だった。Paris、Waterscapesのプリントを初めて見たとき「やばい」と思った。いまだそれを超える写真体験はない。そのときのことを銀座のカフェで思い出した。

この1年くらいデジタルでの撮影が多くなり、美しいインクジェットプリントもたくさん見てきた。だが、やはりゼラチンシルバーをもっとやろう、やらねばと思った。

昨日、おつき合いさせていただいてるデザイナーでコレクターの鎌田さんの南青山サンドリーズでの美しいショーに伺ったとき、坂本龍一さんと武満徹さんの話になった。

オーナーさんは店内に坂本さんのフライヤーを飾り、鎌田さんは事務所で武満さんをよく聴くという。2人とも私の原点の音楽家。

そして晩には坂本さんの番組を観た。がんを患った坂本さんは死を意識して創作している。私も一日一日大切に創作せねば。

そんな折に、鎌倉に住んでいた時分に仲良くしていた武田双雲さんのがネットで流れてきた。ほんと、そうだよな。

07s

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2017年4月17日 (月)

受講生への手紙

講師を務める「光の時」では、講座と講座の間に、講師から受講生の皆さんへ手紙を出しています(明日から満席スタートのゼミでも出す予定です)。

毎回出されるお題に関係するヒント(ときにはかえって迷わせてしまう内容)を中心に、写真について感じていること、考えていること、創作の参考になるような話を思いつくままに書いています。

今回は、3月に送った手紙の一部をご紹介します。

*  * *       * * *      **  *        *  ***     *

ところで、今回の課題とは直接関係ありませんが、1つ質問があります。

あなたの写真は、何%くらいあなたの「作品」でしょうか。

直感の数字でかまいません。

その1枚の画をつくるのに、カメラが写してくれたのが何%くらい、レンズが写してくれたのが何%くらい、画像処理エンジンやフィルム、Photoshopがやってくれたのが何%くらいでしょう。プリンターの役割は何%くらいでしょう。

100%だからいいとか、0%がわるいいとか、その逆とかということではありません。また、同じ人でも1枚1枚ちがうかもしません。

なぜこのような質問をするかというと、あなた自身とあなた以外のものが、それぞれどれくらい1枚の写真に関わっているか、意図と役割を担っているか、それに自覚的になると、今後人に見せるときに役立つと思うからです。

例えば、同じように平面で見せるものではありますが、絵画と写真とでは、作者が「つくる」パーセンテージがずいぶんちがいますね。

言い換えて考えれば、写真において、作者が「つくる」ものって、何でしょう。

ぜひ考えてみてください。

では、次の講座を楽しみにしています。

安達ロベルト

L1000135s

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