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2012年1月11日 (水)

旅写真

このブログの読者ならきっと、旅行に行くといつもより余計に写真を撮りたくなるということを経験したことがあるはずだ。おそらくその現象の背後には、初めて見るものを記憶したがる脳の働きを、カメラを使ってより確実に遂行させようとする力が無意識に作用していたりするのだろう。

人によってはそこに、帰ってから周囲に見せたいという想いが加わるし、さらには、「自慢したい」とか「いい写真だねと褒めてもらいたい」といった欲が加わる場合もあるかもしれない。

ところで、世界中のありとあらゆる土地の写真や映像を既に見てしまっている我々現代人にとって、それでもなお心惹かれる旅写真とは、いったいどんな写真なのだろう。そんなものが今でも存在して、それを我々はまだつくり得るのだろうか。

このような疑問に答えてくれるかもしれない参考意見を、幾分古い雑誌の記事からの抜粋ではあるが、紹介したい。

「写真家というものは、実際には私たちごく普通の旅行者のような写真の撮り方はしない。(中略)写真家は彼らの知っていることや身近な現実を写真に写し取っているのであって、いわゆる旅行者がこれはチャンスだ!と思うような、エキゾチックだったりいかにも異国風だったりするものを文化的興味で撮っているわけではない。旅行者というものは自分にとって初めて見る新鮮なものを見つけただけで、それが美しいものだと思い込んでしまうものだ。だから、思ったままの美しさを捉えるために写真に残す。

しかし、写真家は確かにたくさんの旅をするが、その旅は決して新しい場所を見つける旅でも、変わった場所を見つける旅でも、未知なる場所を見つける旅でも、美しい場所を見つける旅でもない。彼らの旅は、ただ単に、一人ぼっちになって、風景やビル、人々の写真が映し出してくれる『私的なものの見方』を見つけ出すためにあるからだ。」(オリヴィエ・ザム = キュレーター、「Purple Fashion」編集長、月間エスクアイア日本版2005年2月号より)

やや翻訳に難があるが、要約すれば、普通の旅行者は、旅先で目に入ってきた珍しいものや目新しい風景を、見たまま思ったままに残すために写真を撮るが、写真家は、世界中どこへ行こうと、彼(または彼女)の「ものの見方」を写真によって示そうとする、ということだ。旅行者は「対象」を写し、写真家は「視座」を写す、と言い換えてもいいだろう。

以前、先輩写真家が、旅に出てもしばらくは写真を撮らず、その街に飽きてきた頃に撮る、と言っていた。はじめはその理由が分からなかったのだが、今ならよく分かる。

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