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2012年1月19日 (木)

標準レンズ

「標準レンズ」とは、一般には、35判の50ミリレンズを指す(50ミリという焦点距離をなぜ「標準 (standard)」と呼ぶかは諸説あるが、個人的には、そう呼ばれ始めた当時、技術的につくりやすい焦点距離だったからという説をとる)。

しかし、私の個人的な標準レンズは35ミリだ。それは、初めて自分の意志でほしいと思って買ったレンズが35ミリだったから。それがもし50ミリだったら50ミリが、28ミリだったら28ミリがおそらく自分にとっての標準レンズになっていたはずだ。

そのレンズをある期間、四六時中肌身離さず持ち歩き、徹底的に使っていたものだから(そして今でももっとも多用している)、絞りによってどう描写が変化するかとか、このフィルムのときはこういう使い方をするのがいいとか、道具の個性が経験値として身に付いている。

今でも様々なレンズを使うとき、写りの傾向を常にその「標準レンズ」と較べてしまう。ほかのレンズで撮ったフィルムを現像し、タンクから出してクリップに吊るすとき、まだ濡れているネガを見ながら、自分の標準レンズに較べてコントラストが高いとか低いとか解像感がどうとか考える。そういう意味では、「標準」というより、「基準レンズ」に近い。

ところが、これだけ使っていてもなお、そのレンズを使いこなせている実感がない。いまでも撮るたびに新しい発見と驚き(ネガティヴなものも含めて)がたくさんある。不自由を感じる場面の連続。しかし、だからもっと使ってみようという氣になるのも確かだ。

これだけ次々と新製品が出てくる今日ではあるが、何か一つの道具をとことん使ってみて、それを身体感覚として自分のなかで「標準化」することは、大切なことかもしれない。むしろ、移り変わりが早いがゆえに、自分のなかに基準を持つと言うべきだろうか。なぜなら、基準があれば、新しい道具にも自分なりの使い方で対応できるからだ。

自分ではいまだ使いこなせている感のない標準レンズではあるが、使い続けることで「作風」ができていると言ってくれる人もいる。万能な道具などこの世にない。だからこそ、その不自由さをいい意味で諦め、工夫し、積極的に楽しむ。そういう前向きさが作品にも反映されると思う。

Paris05s

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