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2012年3月21日 (水)

視座

写真展に、通りがかりのご夫婦が来てくださった。

ブロンドヘアの淑女が、私の撮った蓮や水たまりのプリントを指し、これらが好きだと言ってくださった。ヨーロッパで働いているとおっしゃる紳士が彼女を指し「家内も写真やってるんだけど、撮るのが壁のシミとかなんだよ。私にはちっとも分からない」とおっしゃった。

どういうことなんでしょうねという紳士に、私は少し考えてから、こういうことを言った。

「写真家は、モノではなく、視座を写すからではないでしょうか。」

写真家が写真に残すものは、被写体そのものではなく、その被写体を彼/彼女がどう見ているのか、カメラやレンズを通してそれをフレームの中でどう見たいのか、そういう「視座」なのではないか。

美しい花を見たとき、その花をフレームの中でどのように見て、どうcomposeし、どういう色で再現すればその感動を他人に伝えることができるか、それを視覚的・具体的に写真をもって提示できるのが写真家なのではないか。

また、上記の淑女の撮る壁のシミのような、一般には美しいと思えない被写体が、写真家による新しいユニークな視座を与えられることによって、美しいものへと昇華する。これも写真家の役割なのではないか。

かつてウォルフガング・ティルマンスが、写真家の役割は世界の再定義だと言っていたが、それは、美じゃないものに写真家が新たな視座という別な定義を与えることで美へと昇華させる、そんな意味合いも含まれているのではないだろうか。

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