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2012年5月17日 (木)

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今回は写真やものづくりの話からちょっと離れる。

自称「日本を代表するイクメンフォトグラファー」である私は、子どものための(子どもとの)時間を、世の一般的なサラリーマン父親より割いていると思う。

様々な言語を話す人が暮らす地域に住んでいるので、近所の公園などで遊んでいると、よく日本語以外の言葉が飛び交っている。

他の言語だとどうなのかは分からないが、少なくとも英語を話す親やシッターたち(母語が英語でなくても教育目的で英語を話す人も多いようだ)が子どもに向かって話している内容に耳を向けると、よく「シェア(share)」という言葉を使う。

近年になって日本でもレストランなどで、料理を皆で「シェアする」と言ったりする、その「分け合う」という意味の「シェア」である

その英語を話す親やシッターたちは、子どもたちがおもちゃの取り合いになったりすると「シェアしなさい」と言う。何かを食べるときも、兄弟で「シェアしなさい」。イスが足りないとき、一つのイスを友だちと「シェアしなさい」。

他方、日本の教育ビデオなどを息子と観ていると、「みんなでなかよく」「みんないっしょに」「はんぶんこ」などの言葉が多く出てくる。最近は以前ほど聞かないが、「がまんしなさい」という言葉もよく使う。

これらは、「シェア」と似ているようで、ちょっと違う。シェアすることの中心にあるのは、あくまで「限られたものを複数の人と分け合う」ということであって、そのためには必ずしも仲良しでなくてもいいし、分け前が全員同じ量とも限らないし、がまんはしてもあきらめる必用はとくにない。

昨日、大学時代の恩師の葬儀に参列した。スペイン人のM先生には、インドとフィリピンのスラムやストリートに住む子どもたちに教育の機会を与えるという学生NGOでお世話になった。

その、先生が発起人になってつくったNGOの基本理念が「シェア」である。

日本に住み、教育を含め、ありとあらゆるものをあたりまえのものとして享受している我々が、アジアのいわゆる最貧層の子どもたちとシェアできるものは、たくさんある。よくいうギブアンドテイクではなく、シェア。

敬虔なカトリックの大家族で育った先生は、シェアするということがどういうことかを母親から学んだという。

歳をとるごとに、先生の教えが、じわりじわりと心の中で現実味を帯びてくる。

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