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2012年9月

2012年9月18日 (火)

ポジションとディレクション

「正しいポジションなどというものはない。正しい方向性(ディレクション)があるだけだ。」(F.M.アレクサンダー)

写真ゼミの修了展が近づいている。

展示する受講生のうち一人が、4x5(シノゴ)と呼ばれる大判カメラで作品づくりに取り組んでいる。彼女はこれまでデジタルカメラを中心に撮影していたのだが、今回初めて本格的にフィルム、しかもかつて写真館で使われていたような、三脚をつけ、暗幕をかぶってピント合わせをする、蛇腹のついた「あれ」で作品をつくっている。

彼女がどのような経緯で4x5を使うようになったのかは、ぜひ写真展に来て聞いてほしいが、先日のゼミのとき、彼女の周囲には、4x5はこう使うべき、4x5ではこういう写真を撮るべきといった声があって、本人の意向と食い違うことがあると話していた。

たしかにそうかもしれない。たとえば、世に出てきたばかりのiPhoneのカメラを指して、iPhoneではこういう写真を撮るのが正しい、iPhoneはこういうふうに使うべき、なんて言う人はいない。

他方、4x5のように歴史のあるカメラは、その間に「確立された様式」みたいなものが多くあって、その呪縛に(無意識に)かかっている人がいても不思議はない。

ところで、冒頭で引用したのは「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」(ペドロ・デ・アルカンタラ著、小野ひとみ監訳、今田匡彦訳)の一節だ。そのなかで言われているのは、楽器を演奏するとき、正しい姿勢などはなく、出したい音にたいする正しい方向性(ディレクション)があるだけだ、ということである。姿勢ありきではなく、望む結果のためには、姿勢をも変化させるのだ。

それを写真に置き換えれば、正しい撮影法などはなく、ほしい画を得るための正しい方向性があるのみと言えるのではないか。

4x5に取り組んでいる彼女には、つくりたい写真のビジョンがある。それを得るために、創造的にカメラを使ってほしいと願う。

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2012年9月 6日 (木)

自問

担当している写真ゼミでは、自問の連続である。

先日、受講生にこんな内容の手紙を書いた。

「あなたの大切にしているものはなんですか?

 それを写真に撮ろうとしたことはありますか?

 もし答えがNoなら、それはなぜでしょう?

 何か躊躇する理由がありますか?」

書きながら自問した。私にとって大切なものはなにか、それを写真に撮っているだろうか、と。

答えはYesだが、プリントにはまだしていない。ネガばかりがたまっている。

別なとき、受講生の何人かに訊いた。「なぜ被写体が人のとき、普段のダークで強いトーンでプリントしないのか」「なぜ被写体が花や自然になると、普段のシャープな写真でなくなるのか」と。

そう言いながら自問した。私にも似たような傾向があるからだ。

これから取り組もうと思っているのは、その大切なものを、普段通りの「自分の文体」でプリントすることである。

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