« 2013年2月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年4月

2013年4月20日 (土)

世界に意味を与えるのか、世界から意味を読み取るのか

「世界に『意味を与える』ために人はファインダーの向こう側に関係している自分自身を感じなければならない。そのためには、集中力、心の鍛錬、繊細さそして幾何学的なセンスが求められる。」アンリ・カルティエ=ブレッソン

欧米人と日本人とでは、なぜか好む写真が違う。よって欧米の写真家と日本人写真家が撮る写真の傾向も違う。

ネットで世界中のフォトグラファーの写真が見られるようになった今日、それがこれまで以上に顕著に思えてきて(たとえばこのサイト)、なぜそうなのか、ここ1、2年ずっと考えてきた。

なかなか答えはでなかったのだが、先日、上記のカルティエ=ブレッソンの言葉をある本で読んだとき、「もしや」と思ったことがある。写真における「意味」について、欧米人と日本人は、正反対のアプローチを取るのではないだろうか、と。

すなわち、欧米の写真家が、写真を通して自らが「世界に意味を与える」という能動的なアプローチを多く取るのに対し、日本人の写真家は、「世界から意味を読み取る」ことを大切にする受動的傾向が強いのではないかと思ったのである。

また、欧米人が言葉によって意味をはっきりさせたがるのに対し、日本人は意味が読み取られないようにぼやかすことも多い。

意味を与える欧米人と、意味を読み取る日本人。意味を明確にする欧米人と、意味をあいまいにする日本人。

カルティエ=ブレッソンの写真には、単なるスナップを超えた、彼の美意識に基づいて幾何学的な画に昇華されたものが多い。これは、意味のない状況にカメラを向けフレーミングすることでそこに「意味をつくりだす」行為と言ってもいいだろう。

ウタ・バースも、その純度の高い抽象化によって、目の前にある光、影、色、かたちに、特別な「意味を与える」ことに成功している。

また、ウォルフガング・ティルマンスは、写真家の役割とは世界の再定義だと言っている。

対して日本人の写真家の多くは(あえて例を挙げないが)、眼前の事象から「意味を読み取り」、それを純度の高い描写によって表わそうとする。どんな新しい価値をつくりだすかより、どんなことを感じて撮ったかを大切にする。

写真に限らず、工業製品でも同じ傾向があるのではないだろうか。欧米人が新しい価値(たとえば、自動車、電話、コンピューター)をつくりだし、日本人はそこから価値を読み取り、より高度なものへとつくりかえていく。

誤解してほしくないのは、欧米人が優れていて、日本人がそうでないと言っているわけではないということだ。「意味」にたいするアプローチが違うということだ。

その違いがはたして文化から来るのかどうか、けっきょくのところ、理由はまだ分からないままではあるが。

R1117397

(c) all rights reserved

|

2013年4月12日 (金)

見る側の感情を喚起する写真

以前の記事で、写真を「自己表現」とすることに違和感がある、表現しよう表現しようとするのではなく、徹底した描写の先に人は感情を読み取るのでは、というような内容のことを書いた(「引用」)。

このことを説明するとき、担当する写真ゼミではよく、スデクを例に挙げる(Josef Sudek)。

スデクは、「プラハの詩人」と呼ばれるほど、その作品をして見る者に多くの感情を喚起せしめるが、私には彼の作品が、何かの感情を伝えようとしてつくったものには見えない。おそらく(本人に確認することはできないが)、その徹底した描写に、我々が勝手に感情を投影しているだけではないのかと思っている。

ところが先日、写真ゼミの受講生が興味深い質問をしてきた。「では、スデクとベッヒャー夫妻の違いは何なのでしょう? ベッヒャー夫妻も描写に徹していると思うのですが、私はそこから感情を読み取れません。」

私は「いい質問ですね」と言った後即答できず、宿題にさせてもらった。

その後考えた末、一つの仮説に行き着いた。それは、

「両者とも、描写に徹し、見る側に感情を伝えよう伝えようとしていない点では共通するが、スデクがその場で多くの感情を抱きながら撮影していたのに対し、ベッヒャー夫妻は、さほど感情を抱かずに撮影しているのではないか」

というものだ。

ティルマンスが言うように、写真には作者の心が写る(「写真に写るもの(1)」)。多くを感じながら撮った写真と、そうでないものには、差が出るだろう。

売ろう売ろうとしている広告写真に我々がさほど魅力を感じないのと同じ理由で、感情を伝えよう伝えようとしている写真からは、「想いを伝えよう伝えようとしている作者」のほうが際立って見えてしまって、見る側は逆説的に冷めてしまいやすいのではないか。

スデクの写真から私は、そのような作者の姿は読み取れないが、多くの感情を喚起させられるのである。

Aria008

(c) all rights reserved

|

« 2013年2月 | トップページ | 2013年6月 »