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2014年2月13日 (木)

メロディに頼らない音楽、主題に頼らない写真

写真の被写体(モチーフ)は、音楽でいえばメロディのようなものだと思っている。

写真を音楽に置き換えてみると、発見が多い。写真のハイライトとシャドーは、音楽の高音と低音の関係に似ているし、写真の色や光、トーンは、音楽のハーモニーや楽器編成に近い。

メロディのはっきりした音楽にインパクトがあるように、モチーフの明確な写真にもインパクトがある。だが、分かりやすすぎるメロディが幼稚に聞こえるように、使い古された分かりやすすぎるモチーフの写真も、チープに見えることがある。

ところが、たとえば童謡のメロディを、いわゆる三和音でなく、ジャズやボサノヴァの洗練されたハーモニーで弾いてみると急にオシャレに聞こえたりするように、同じモチーフでも、色やトーンが洗練されているとまったく印象が違う。

ゼミの修了展をやっていると、ときどき、来てくださった方に「これは何ですか」「何を撮っているんですか」と質問されて困るゼミ生がいる。それはある意味で、彼または彼女がゼミで多くを学んだ証拠。なぜなら、ゼミでは、主題に頼らず色やトーンで見せる方法を学ぶからだ。いわば、メロディーに頼らずハーモニーで聞かせる方法だ。メロディをつけるのは、ゼミを修了してからどんどんやればよい。

色やトーンの使い方は、その写真家の「文体」である。岡本太郎さんの言葉を借りれば、ダンサーの文体は身体の使い方、画家の文体は色の使い方。作曲家ならハーモニーやリズム、楽器の使い方だろう(ついでにいえば、写真や絵画のフレーミング感覚は、音楽のリズム感に近いかもしれない)。文体には個性が出る。

私は写真の仕事をするずいぶん前に作曲家に弟子入りしてクラシックの作曲法を長い間学んだのだが、そこではメロディのつくり方はほとんど学んでいない。もっぱら上記のハーモニー、リズム、楽器の使い方を学んだ。私が写真ゼミでやりたいこともけっきょくそこなのだとあらためて感じている。

20140208007

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