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2014年4月 9日 (水)

境界を超えるツールとしてのカメラ

先日、日本写真学院の3周年イベントで、大先輩の水谷充さんとトークをさせていただいた。多くの示唆に富むお話を聞かせていただいたのだが、そのなかでも印象に残っているのが、水谷さんの「カメラを持つと境界を越えられる」という話。

水谷さんは、カメラを持つことで、普通は入れない場所に入ることができるという。それは、仕事として、許可を取って普段は入れない場所に入れるという意味もあるがそれだけでなく、ファインダーを覗いていると、平常心では入れない領域にまで足を踏み入れることもあるそうだ。たとえば、あるとき夢中で撮っていて、ふとファインダーから目を外したら足下が断崖絶壁だったという経験もされたという。

思えば私も十代の、まだハンディビデオカメラが普及していなかった頃、ジェトコースターにそれを持って入り撮影したことがあった(当時は禁止されていなかった)。普段はジェットコースターはどちらかと言えば苦手で、きもちわるくなったりするのだが、ビデオカメラのファインダーを覗きながら乗ったときはけろっとしていた。

おそらく、ファインダーを覗いていると、身体的にも精神的にも、なんらかの感覚がシャットダウンしたり、恐怖心が薄らいだりするのだろう。

カメラショーなどでコンパニオンの女性たちにカメラを向ける男性も、普段は正面から見つめたり話しかけたりすることのできない人と、カメラを介することで、接点を持つことができる。それは、カメラを持つことで物理的に境界を越えるというよりは、精神的な境界を越えることと言っていいだろう。

私自身の経験で言えば、それまで作曲でどちらかといえば好奇心が自分の内側に向いていたのが、写真を撮るようになってから、外側に強く向くようになった。もっと見たい、もっとその先に行きたいと思うようになった。

私は感性にも「作用反作用の法則」があると感じていて、写真のおかげで強く大きく外側の境界を越えようとした好奇心の反作用として、内向きにも、その境界を超えようとする力が強まった。そうやって感性は双方向に広がりながらバランスを取り、結果的に内にも外にも強く好奇心が働くようになったと実感している。

Sdim0792s

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