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2015年12月

2015年12月29日 (火)

35の理由

来年行う個展は、前に書いたように、35ミリのブラックアンドホワイト、ゼラチンシルバープリントです。それは、デジタルでもカラーでもないし、中判でも大判でもないということでもあります。

私のなかに35判でなくてはいけないというこだわりは実はほとんどありません。それどころかむしろ、他の作家の中判や大判の作品を見るたびに、やっぱりいいなあと思うほどです。近年はカラーネガも好きですし(アナログカラーでも個展やりたいです)。

35白黒銀塩である理由は単純です。撮影、現像、プリントまでの過程がそれなりにできあがっていて、しかもストレスなくできるからです。

このストレスがないということは(私にとっては)重要です。作曲の仕事では長い間PCソフトでの譜面書きに相当なストレスがあったのですが、近年タブレットのアプリで書くようになって、ぐっと少なくなりました。おかげで以前より書くぞという氣になれます。

ちなみに私の場合、いちばんストレスの少ない記譜法は手書きなのですが、清書、パート譜起こしまで含めると、電子が一番効率がいいのです。ところが、PCの譜面書きソフトでなかなか相性のいいものがなく、永年自分自身に負荷をかけながら(つまり根性で)譜面書きをやってきました。

話を写真に戻すと、35判でのプロセスにストレスが少なくなったのは、ある時期に導入した現像タンクと引伸し機のおかげです。

現像タンクは、もう新品では売っていませんが、多くの写真家に愛されてきたもので、それまで使っていたタンクに比べ、安定したクオリティを出せます。

引伸し機は35専用で、十年近く前に心の師から譲っていただいたものです。この引伸し機から数々の名作が生まれたことを思うと、今でも前に立つと身が引き締まります。

描写のよさ云々もありますが、とにかく作業効率がいいのです。仮にこの引伸し機で中判までできるなら、もしかするともっと中判をやっているかもしれません。暗室には大判まで使える引伸し機もあるのですが、そのような理由でなかなか稼働しません。

以上、どちらかといえば消極的な理由で35をやってきたわけですが、結果的に同じものを使い続けてきたことになりました。それは1つのプロセスに精通する、得意になるということでもあって、「自由さ」と言い換えることもできるかもしません。その時間をかけて獲得した自由さは、なにごとにおいても大切だと思っています。

たとえば、作曲では私はずっと弦楽器が好きで使ってきました。理由はその音色が好きだから。弦楽アンサンブルなどはとくに好きです。濃淡で表現するという意味で、ブラックアンドホワイトの写真に似ています。

その道のプロに現場で教えていただきながら弦楽を使い続けるうちに、どう弾けばどういう音が出るかだいたいわかるようになりました。そうなってくると私にとっては、弦楽を使うことは作曲の「自由度」を上げることになります。

もちろん、他の楽器を使った作曲もできますし、打ち込みもやります。弦楽器の音色には電子楽器のような奇抜さや管楽器のような派手さがありません。でも、その音色(トーン)を心底美しいと思うのです。

その自由さ、そのトーンを、私は表現の上で大切にしています。

35、ブラックアンドホワイト、ゼラチンシルバーでやるということは、私にとってはまさに、弦楽の作曲をするようなことなのです。

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2015年12月26日 (土)

アイディアと画の具現化

前回のエントリーで、「具現化」という言葉を使いました。これは、写真の本質からすると、ある種の矛盾を含む表現です。

なぜなら、写真はすでに具現化されているものを写す(複写する)媒体だからです。現実に具現化されているものを具現化するとはどういうことなのか、と。

写真(とくにアートとしての写真)には2つの具現化があると私は考えています。

1つは「アイディアの具現化」で、もう1つは「画(picture)の具現化」です。

アイディアの具現化とは、テーマを写真でかたちにするということはもちろんですが、それに加え、たとえば林ナツミさんPHOTOGRAPHER HALさんのように、作者が見たいと願う「視覚的アイディア」を写真によって具現化するということでもあります。

このお二人のようないわゆるセットアップによる写真を「恣意的だ」「あざとい」とする考えが一方であります。

しかし他方では、莫大な量の写真が撮られ発表されている今日(十数年前とは状況がまったく違います)、ストレート写真では表現として成立しづらくなってきていることも事実でしょう(興味のある方はIMA MAGAZINE vol.4のホンマタカシさんの記事をご覧ください)。

もう1つの「画の具現化」は、「画づくり」または「インプット/アウトプット」のことです。たとえば同じ風景を写真にするのでも、どのようにインプットし、それをどうアウトプットするかで、見え方はまったく違いますし、そこに作家性が問われます。つくりたい画を作者が具現化するのです。

ゴッホ、モネなど個性的な画づくりをした芸術家の例を挙げるまでもなく、写真を複写でなくpicture、そしてアートとするならば、そこが大切だと私は考えています。

また、写真の作家性を考えるとき、被写体の選択、画面の構成、色使いなどに関心が向きがちですが、プリントの「マテリアル」にもっと注目がされてもいいと考えます。

同じ絵画でも、油彩、水彩、日本画では、風合いがまったく違うように、たとえば同じ黒を出すのにも、銀を使うのかプラチナを使うのか顔料を使うのか(つまり銀塩かプラチナプリントかインクジェットか)で、pictureの風合いは別ものになり、そこにも作家性は出ます。

写真家ももっと、自分に合った(作品にあった)風合いとそのマテリアルという観点から自身の作品を考えてもいいと私は思っています。

以上のように写真は、「そこにあるものを写す」から、「見たいものをつくる」へとその役割を広げているのです。

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2015年12月23日 (水)

テーマとモチーフのこと

絵画の世界ではわりと分けて考えられているテーマとモチーフ、写真では案外混同されて使われています(もちろん、定義によるのですが)。

たとえば「花をテーマに写真を撮っています」「パリがテーマです」という話がときどきありますが、絵画では一般的に、花や街はテーマでなくモチーフ。

テーマは、「○○について撮る」の○○にあてはまるような、作品の基調となるアイディア、哲学、作品によって表わしたいことなど。たとえば「命の可憐さをテーマに、花をモチーフにして撮っています」「パリをモチーフに美と文化の関係について表現してます」ということになるでしょう。

また、「光と影をテーマに撮っています」という話もときどき耳にします。photographの語源を引くまでもなく、光と影はすべての写真が成立するのに不可欠な要素。光と影をテーマにするということは、音楽でいえば高音と低音をテーマに作曲するようなものだと思うのです(私見)。チャレンジングで抽象的なテーマなので、自分ならば、「光と影の○○について撮る」「光と影によって○○を描く」とまでするでしょう。

さて、一般論はさておき、写真展のお話。

私が過去にやった個展では、ほぼタイトル=テーマでした。Awareness、Joy、Clarity and Precipitationなどがそれにあたります。

今回の展覧会では、タイトルも決めていませんしテーマも深め切っていないので、まだ「アイディア」の段階ですが、写真を通して我々の「文明」について考えてみたいと思っています。

モチーフは、土地、場所。ランドスケープが中心です。

このアイディアを具現化する鍵の一つは、物理的な旅ももちろんですが、同時に、どれだけ知的にもトラベルできるかだと思っています。その意味でもこれまでと幾分違う写真展になるのではないでしょうか。

過去に撮ったネガをメインにプリントしようと思いつつも、脳内で日々アップデートされていく展覧会や出来上がりのプリントのイメージは、私にプラスαの撮影を要求してきます。それは、旧作でなく新作を見てほしいという作家の性でもあります。

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2015年12月20日 (日)

写真展で何をするか(2)

前回は、emotionについて触れました。

ところが、小説の場合は、文字や文法が分からなくては楽しめませんし、音楽の場合は、たとえばクラシックの現代音楽などは、少々聴く訓練をしたうえで「傾聴」しないと体験できないemotionがあります。

たとえばアメリカのポピュラー音楽ばかり聴いてきた少年が現代音楽を聴いたとしても、音楽に聞こえないかもしれません。ところが、ある程度の訓練をすると聞こえてくる音、わかってくる面白さというものがあります。それは瞬間的に人を興奮させるものではないけれど、「じわじわくる」面白さだったりします。

写真の場合はどうでしょう。

写真は受動的で間接的な媒体のため、見る側が積極的に見ようとする、掴みに行こうとすることによって初めて体験できることがたくさんあると感じています。その場合、現代音楽の「傾聴」のようなものが必要になります。

また、見る側にある程度写真の「リテラシー」がないと体験できないことがあるという点でも、現代音楽に似ているかもしれません。たとえばショアやエグルストンの作品を前にして、写真を視る訓練や写真史の学習をしてきた人とそうでない人とでは、おそらく体験できるemotionが違うはずです。

でも、写真は表面的には「見える」ものなので、「視覚情報」として捉えると、見えた見えたわかったわかった(あるいはさっぱりわからない)と、emotionを体験する前に簡単に通過もできて(されて)しまいます。

そこで作者は、見る人が奥にあるものを掴みに来てくれるような工夫を用意する必要があったりするわけです。

プリントのクオリティやサイズ、額装などを工夫することもそれに当たるでしょう。

また、タイトルやステートメントなど、作品に添える言葉も、emotionを体験するために必要なことがあります。

たとえば当ブログにも以前登場した米田知子さんの作品はその典型です。リンク先を見ていただけばわかりますが、鑑賞者が写真と言葉とをその脳内で重ね合わせることで初めて作品が「完成」します。

逆に、言葉を必要としない写真作品もあります。中藤毅彦さんは、これだけ写真の世界でステートメントが必要だと言われているなかで、それをまったく書かずに国際的に評価されています。思うにそれは、中藤さんの「文体」に依るところが大きいのではないでしょうか(「文体」については後日また)。

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2015年12月18日 (金)

故郷のための曲

いま故郷の中学校の吹奏楽部と地元のお囃子メンバーのための曲を書いています。来年2016年6月に演奏予定です。

こういう仕事は初めてで、しかも同級生からの依頼なので、とても光栄で、そしてワクワクしています。故郷に恩返しをしてこなかったのでとくに。

吹奏楽は十数名の小編成。たとえばクラリネットは、大編成のバンドではオケのヴァイオリンのような役割りを任せられるのですが、ここではそのような手法は使えません。金管がフォルテで唸れば木管は聞こえなくなります。アレンジの腕の見せどころです。

お囃子は「しゃぎり」と呼ばれ、故郷の誇りである祭り(1年間祭りのために生きているような人もいるほど)で、毎年街中を練り歩きながら演奏されます。男子は小学校高学年から全員が参加し(近年は人数が足りず女子も参加しているとか)、全員が演奏できるようになります。私もしゃぎりのすべての楽器が演奏できます。

楽譜がなく、曲はすべて口承。耳と手で覚えるせいもあり、知らず知らずのうちにその独特な節回しを身につけます。

今回作曲するにあたって、篠笛で音を確認しつつ進めたのですが、新しい曲であるにもかかわらず「それっぽい」節回しになります。手が自然にそのように動きたがるのです。

タンゴの革命児と呼ばれたピアソラも、細かな節回しに、タンゴをやる人なら誰もが身につけているフレーズが多いそうです。

私の篠笛はピアソラのバンドネオンとは比べ物になりませんが、古くから伝えられる音楽、生活に密着した音楽には、それぞれの節回しというものがあって、やっている人は自ずとそれを身につけます。私はそれが本当に美しいと思っています。

私は、近現代の箏曲のような西洋の音律(平均律)で篠笛のパートを書きたくありませんでした。つまり、ドレミの音階に収まらない音、独特の美しい節回しを使いたかったのです。

ところがいま、たとえばインドのポピュラー音楽を聴いても、10年くらい前と比べて、ずいぶん欧米の音楽っぽくなりました。それはやはりインドでも平均律化が進んでいるこということでしょう。

楽譜に書ける音楽、電子楽器(とくに鍵盤楽器)やDAWによる音楽は、音楽を豊かにした反面、そこに収まらない音階、音律、節回しを排除し、音楽を貧しくしたとも思っています。

また、お囃子のパートは楽譜を書かずに口伝え(音伝え)にします。楽譜に書くことはもちろんできるのですが、書いてしまうとどこかうそっぽくなりますし、普段通りにしたいというのもあります。

吹奏楽のパートは楽譜にします。吹奏楽のフレーズ感は、やはり西洋音楽のそれです。

吹奏楽とお囃子とでは、もちろん音律(音程)が違います。ピッチが微妙に(音によってはかなり)ずれています。

絶対音感のある方が聴くと、きもちわるく感じるかもしれません。でも、異質なものが異質なまま鳴るので、本当に聴く耳のある方なら、逆に面白いと思ってもらえるのではないでしょうか。

ともかく、異質なものどうしを異質なまま、でもハーモニーをもって鳴らしてみたいと思っています。

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2015年12月16日 (水)

写真展で何をするか(1)

「写真展で何をするか」。これは大切なポイントです。

写真を展示するんじゃないの?と言われれば、もちろんその通りです。ここではもっと掘り下げて、写真を展示することで「何を示すか」ということについてお話します。

10人写真家がいれば10通りの「示すこと」があります。たとえばジャーナリズムとネイチャーとでは、かなり違うはずですね。

では私にとっての写真展とは、何を示す場なのでしょうか。

第一には、売ることも想定したプリントを展示する場です。私という作者が技術(art)を用いてプリントをつくり、それを見てもらうのです。その意味では絵画展などに似ています。

逆に、たとえば新聞社が行う報道写真展などとは性質が違います。でも、私の写真展にもそのような要素を求める方が少数ですが確実にいらっしゃいます。そういう方にとっては、いつどこでなぜこの瞬間を撮ったのか、写っているのは「事件」や「珍事」なのかということが、プリント云々よりも大切です。記録や複写の側面の強さが写真という媒体の持つ個性の一つですので、そういう方も大切にしたいと考えています。

第二に、私の作品にはメッセージやストーリーがありませんので、私にとっての写真展はそれらを伝える場ではありません。

たとえば自然を写して自然保護のメッセージを訴えたり、子どもを写して人権を説くようなことはしませんし、読み取ってほしいストーリーもありません(ただし、見る方がそれらを感じ取ってくださるのは自由です)。

私はつくる音楽も好きな音楽ももっぱらインストルメンタルでメッセージはとくにありませんし、好きな小説もわかりやすい流れのストーリーでは限らずしもありません。読み終えたあと、あらすじをうまく説明できなかったりします。

では、それらで何を体験しているのでしょう。

一言でいえば「emotion」かもしれません。

何かのemotionを体験するためには、私の場合、必ずしもメッセージやストーリーを必要としません。代わりに必要なのが「文体」です。

好きな音楽や小説には、個人的に好きな「文体」があります。小説はもちろん物語のかたちをとっているわけですが、好みの小説のうち起承転結のようなわかりやすい構成のストーリーはむしろ少数派。それでも、読み進む過程でたくさんのemotionを体験できるのは「文体」のおかげ。音楽でもそうです。

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2015年12月13日 (日)

写真展をつくる

詳しいことは後日になりますが、来年個展を行う予定です。

今回は、新作を含めこれまで撮りためたものを、過去の個展とは違う切り口でまとめる予定です。包括的な要素と新鮮さとが共存する展覧会に、私自身ワクワクしています。

そこで今回は、展覧会までの制作過程についてこのブログで話していこうかと思っています。更新頻度の高いときもあれば、そうでないときもあると思います(要するにきまぐれです)。

これを通して、私が写真にたいして何を考え、何を大切にしているかが伝わると同時に、写真を学んでいる方、とくにこれから展覧会をやってみたいという方には、もしかするとなにかの参考(あるいは反面教師)になるかもしれません。

これまの写真展では、ツルの恩返しよろしく、つくっている様子は見ないでくださいとばかりに制作過程を公開することはほとんどやってきませんでした。それは、ツルのように正体がばれるのを怖れていたからでなく、先入観なしに作品そのものを見てほしかったからです。

でも、たとえばある楽曲を聴くとき、その曲の構造や背景、作曲過程を知ると、曲がよりリアルに感じられ、細部の意味がはっきりし、音がよりクリアに聞こえてくることがよくあります(レコードのライナーノーツを読むのが好きな方にはよくわかるでしょう)。

もっと具体的な例で言えば、坂本龍一さんは前回のアルバム制作のとき、レコーディング風景をすべてリアルタイムでネット配信しました。そのおかげで1音1音への理解というか愛着が深まりました。そのようなことが、写真にもあるかもしれないと思ったのです(ただし、暗室のリアルタイム配信はやりませんよ)。

できれば1人でも多くの方に写真展に来ていただきたいし、1点でも作品を好きになってほしいですから。

また、私が技術的に特別なことをとくにやっていないこともたぶん伝わるんじゃないかと思います。飽きっぽくて実験好き(料理でもレシピ通りにつくり始めて途中から実験をしてしまう性分)なので、途中でいろいろやっちゃうかもしれませんが。

全編35ミリ判のブラックアンドホワイト、ゼラチンシルバープリント。

ともあれ、今後いろいろシェアしてきますので、お楽しみに。

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