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2016年2月

2016年2月23日 (火)

ブリコルールと鱈〜写真展をつくる(12)

「ブリコルールたちの口ぶりを真似て言えば、彼らの道具や資材は『こんなものでも何かの役に立つことがあるかもしれない』の原理に基づいて収集され保存されているのである。」クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」より

タイトル、ステートメント、プレスリリース用の画像データをギャラリーに納め、いよいよ写真展も対外的にも宣伝していただく段階になりました。

その画像はフライヤーにも使うもので、5年ほど前のネガから選んで焼きました。もう何度も見たはずのスリーブの中にこの1枚が含まれていることに氣付いたのは、つい最近のこと。他の写真家のことは知りませんが、私にはこういうことがよくあります。

ネガは、見るたびに発見があります。時間を置くと好みが変わるということもありますし、どういう視点で見るかによって見え方が変わるというのもあります。「なんで前に氣付かなかったんだろう」というのが出てくるのです。今回選んだカットは、おそらく以前は「失敗」だと思っていた可能性が高いです。

ところで、上に引用した文化人類学者・故レヴィ=ストロースの言葉は、今回の写真展によく当てはまります。

撮りおろしもありますが、ブリコルールのように「何かの役に立つかもしれない」と思って撮っておいていたネガから目的にあったものを選び、組んで、写真展をつくっています。

ちなみに、ジョージ・バーナード・ショーは、こんなことを言っています。

「写真家は鱈(タラ)みたいなもんだ。何万個も卵を生んで、そのうちの1個が成魚になる。」

ボツになったネガ、失敗したプリントの山を見ては、この言葉を思い出しています。

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2016年2月15日 (月)

考える、考えない

写真に限らず、アートは「考えずにやれ」という話はよく聞きます(スポーツでもビジネスでも)。よく考えろという話も一方では聞きます。

個人的には、「考える、考えない」の1か0かではなく、考えることで創作の領域が広がるなら大いに考えるべきで、制限されるなら(萎縮するなら)考えることをやめるべきだと思っています。

ロジックにあてはめてものをつくろうとして、そのうちがんじがらめになってしまうことは、たしかにあります。コンセプトをつくったためにかえって小さくまとまってしまうケースもあります。そういうときはきっと、考えるのをやめるべきなのでしょう。

他方、作品を知的に構築すること、たとえば歴史的な文脈や、ドキュメンタリーとしての要素を持たせることも、創作の可能性の1つです。それは、感性だけでは届かない領域に作品を運んでくれることでしょう。また、文法や構造を意識することで、伝わりやすくなることもあります。

ところで、坂本龍一さんがあるとき、作曲しているときに脳波を取る実験を行ったそうです。ご本人は右脳が盛んに働いているんじゃないかと期待したそうですが、実験結果は、予想以上に左脳が働いていたそうです。つまり、坂本さんにとっての作曲は、論理的、言語的に考える要素が多分に含まれる活動だったのです。そして、別な作曲家が計測すれば、きっと違う結果が出るでしょう。

感覚と論理の理想的なバランスは、人それぞれ違います。同じ人でも成長段階に応じて異なるでしょう。感性のままつくりつづけてうまくいく場合もいれば、壁にぶつかる場合もあります。同じ人の作品でも、感覚的な作品もあれば、知的な作品もあっていいでしょう。

また、個人的にいろんな形態のアートに関わってきて実感するのが、ひとつの作品のなかでも、知性を使う箇所もあれば、感性を使う箇所もあるということです(たとえば作曲で、旋律を決めるときと音色を決めるときでは、使っている能力が違うように思います)。

創作領域が一番広がるバランス、能力が発揮できる知性と感性のバランスを、その都度その都度、模索し続けるということでいいのではないでしょうか。

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2016年2月11日 (木)

デジタルの影響〜写真展をつくる(11)

先日暗室で、10年くらい前にも焼いたことのあるネガを焼きました。

その間にいろいろな経験をしたからでしょう。多くのことが暗室のルーティンのなかで変わったことに氣づきました。なかでも、焼くときプリントの何に注目するかに、変化があることがはっきりわかりました。

10年前は今よりもシャドー部に意識が行っていたように思います。シャドーのウェイトはちゃんと乗っているか、と。今は、明度、コントラスト、ハイライトの明るさ、シャドーの濃さ、そのあたりを全体的に仔細に見るようになりました。

おそらくそれは、その間のデジタルでの経験からくるものでしょう。たとえばiPhoneでやっているインスタグラムでも、上記のパラメーターを調整します。似たようなことをアナログでもやっているという具合です。

10年前ももちろんそれらに注目はしていたわけですが、今から見れば、もっと漠然と捉えていたように思います。デジタルでは数値でそれらが表示されますから、意識的にコントロールするようになるのは自然な流れです。以前はもっと「なんとなくやってたらこうなった」みたいなことが多かったように思います。

そして、当時とは、トーンの好みが変わっていることにも氣づきます。そこにも、デジタルの影響はあると思います。

デジタルで、瞬時に直感的に調整する作業を日々続けてきましたし、10年前とは比較にならないほどネットで人の作品を見る機会も増えました。好きなトーンの作家とも出会います。また、高解像、高シャープネスのデジタル画像にも目が慣らさています。

それらを通して、今自分の好きなトーンもはっきり自覚します。デジタルで知った自分の好きなトーンを今暗室でもつくろうとしているわけです(もちろん、両者相容れないところもありますよ)。

結果として、同じネガから、10年前とは違うプリントができあがります。

ちなみに下の写真は、テストピース。本ちゃんの紙に焼く前に、どの程度の露光にしようか見当をつけるためのものです。テストピースを焼かずにいきなり焼き始める人も多いと思いますが、私はわりとしっかりテストピースをつくります。ん? そんなにしっかりつくってるようには見えない? そうですか。そうかもしれません。

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Testpieces

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2016年2月 4日 (木)

見方を変えるヒント

皆さんは、1つの言葉、1つのアイディアがきっかけで、ものの見方が変わるという経験をされたことはありますか?

先日、写真講座「光の時」をやるギャラリーカメリアで、日本画を学んでいるという学生さんとお会いしたとき、ギャラリーのNさんも含め、日本画とはどういう絵を指すかについて話し合いました。

日本画にはいろんな定義があるのですが、私は、日本画(や東洋の絵画)の特徴の1つは、その「重心」にあると思っています。重心については一般的な日本画の定義には入っていません。ですが、私にとっては大切な要素です。

そんな話をしていたら、学生さんには新鮮だったようで、もしかすると彼女にとっての日本画を見直すちょっとしたきっかけになったかもしれません。

人は知らず知らずのうちに、ある特徴をもつ作風を身につけていたり、逆にそこから外れた個性を持っていたりするものです。

それは、1つのヒントがきっかけで自覚できたり、1つの命題を考え続けかたちにし続けるうちに発見できたりします。

上記の「光の時」は、そのようなことができる場にもしたいと思っています(参加される方、おたのしみに)。

ちなみに第1期のときは、光を愛でるという主題のほかに、「抽象」についてみんなで考えてみました。それによって、多くの方が、それまで考えていたものとは「抽象」の概念が変わったとおっしゃいました。

「抽象」は、ゼミやその他のワークショップなどでも、たびたび取りあげている課題ですが、「光の時」では、また違うアプローチをしています(なにしろ相手は「抽象的な」概念ですから、これが正攻法!というのはありません)。

さて、第2期は、どんな課題が出されるのでしょう。

私の手元には既に「お題リスト」がつくってあって、メンバーの顔ぶれを見て、どれを出すか決めるつもりでいます。

どれもおそらく、皆さんがまったく考えたこともないことか、深く考えたことのないことでしょう。それらをきっかけに、世界の見方、そして、ご自分自身にたいする見方が変わるのではないかと思っています。

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2016年2月 1日 (月)

デジタル写真集発売しました

2011年7月、星のきれいな夜でした。処はハワイ、カウアイ島。ワイメア渓谷付近の撮影の帰りのことです。我々の乗る車の前に、200mに1羽くらいの頻度で次々にフクロウが現れました。

多くの芸能人やスポーツ選手も信頼する現地の撮影コーディネーターが、言いました。

「ハワイで生まれ育って、永年この仕事をしているけど、こんなにフクロウを見るのは初めて。」

我々の乗る車がそこを通ることを知っているかのように、次々とフクロウが道路に現れては飛び去っていきました。

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Kindleで発売されたデジタル写真集「Meditative Images of Kauai 2011」のなかのイメージは、そのときの取材で撮ったものです。

残念ながらフクロウの写真はないのですが、そこで味わった神秘的な感覚は、これらの写真のなかに残っているように感じます。

CRPとは、写真家・横木安良夫さんの呼びかけに共鳴する写真家たちのプロジェクト。

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