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2016年2月15日 (月)

考える、考えない

写真に限らず、アートは「考えずにやれ」という話はよく聞きます(スポーツでもビジネスでも)。よく考えろという話も一方では聞きます。

個人的には、「考える、考えない」の1か0かではなく、考えることで創作の領域が広がるなら大いに考えるべきで、制限されるなら(萎縮するなら)考えることをやめるべきだと思っています。

ロジックにあてはめてものをつくろうとして、そのうちがんじがらめになってしまうことは、たしかにあります。コンセプトをつくったためにかえって小さくまとまってしまうケースもあります。そういうときはきっと、考えるのをやめるべきなのでしょう。

他方、作品を知的に構築すること、たとえば歴史的な文脈や、ドキュメンタリーとしての要素を持たせることも、創作の可能性の1つです。それは、感性だけでは届かない領域に作品を運んでくれることでしょう。また、文法や構造を意識することで、伝わりやすくなることもあります。

ところで、坂本龍一さんがあるとき、作曲しているときに脳波を取る実験を行ったそうです。ご本人は右脳が盛んに働いているんじゃないかと期待したそうですが、実験結果は、予想以上に左脳が働いていたそうです。つまり、坂本さんにとっての作曲は、論理的、言語的に考える要素が多分に含まれる活動だったのです。そして、別な作曲家が計測すれば、きっと違う結果が出るでしょう。

感覚と論理の理想的なバランスは、人それぞれ違います。同じ人でも成長段階に応じて異なるでしょう。感性のままつくりつづけてうまくいく場合もいれば、壁にぶつかる場合もあります。同じ人の作品でも、感覚的な作品もあれば、知的な作品もあっていいでしょう。

また、個人的にいろんな形態のアートに関わってきて実感するのが、ひとつの作品のなかでも、知性を使う箇所もあれば、感性を使う箇所もあるということです(たとえば作曲で、旋律を決めるときと音色を決めるときでは、使っている能力が違うように思います)。

創作領域が一番広がるバランス、能力が発揮できる知性と感性のバランスを、その都度その都度、模索し続けるということでいいのではないでしょうか。

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