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2016年12月 7日 (水)

文字とアート

シリーズの2回目。今回は文字について考えてみます。

日本語にはさまざまな特殊性があって、その1つが「漢字」です。私は(あくまで仮説ですが)、文字、とりわけ漢字が、日本人にとってのアート(視覚芸術)に影響を与えているのではないかと思っています。

大多数の文化で、文字が誕生するのは話し言葉よりも後です。日本では文字を使うようになって二千年くらいと言われています。子どもが先に覚えるのも、話し言葉が先です。

そういう意味で言語は、話し言葉の体系の上に文字が乗っかっているわけですが、識字率が高くなった現代では、その逆のこともときどきあるようです。

漢字は現在、中国語と日本語以外にはほとんど使われていません。

中国語と日本語の漢字の違いは、表記や発音にあるのはもちろんですが、日本語における「読み方の多さ」が、その最たるものではないでしょうか。

中国語では1字につき、読み方のバリエーションがほとんどありません。ところが、日本語の漢字には、多くの場合、1通り以上の「音読み」と「訓読み」がそれぞれ存在します。

例えば(へんな例ですが)、手帳に「日本語で日曜日の日程を説明する日」と書き込むとします。すると、わずかこの1文の中に「日」という字の5通りの読み方のバリエーションが出てくるわけです。

読み方だけでなく意味においても(語源までさかのぼらなければ)、この1文の同じ文字に、3通りの意味または使用目的(国の名前、曜日の名前、日にち)があるのです。

これが、日本語のむずかしさであり、豊かさでもあります。

さて、そんな漢字を見たとき、脳はそれらをどう扱っているのでしょう。

日本語を読む場合、脳は違う2カ所を同時に使っているそうです(詳しくはこちら)。

漢字は表音文字なので、「図像」として認識されます。

ひらがなカタカナは表音文字なので、「音声」として認識されます。

日本語を読むとき、脳はそれらを同時に行うという高度な処理をしています。

そのうえ、漢字という図像においては、先ほどの例のように、文脈に応じた「正しい」読み方とその意味を、瞬時に脳内の引き出しから出して当てはめるという、きわめて高度な処理を行います。それを学習によって無意識にできるようになるまで高めるのが日本の学校教育です。

ところで、私の限られた体験から話すと、他の文化圏の人々に比べ、日本語環境で生まれ育った人たちのほうが、抽象的なアート作品を「わからない」で片付けてしまう割合が多いように感じています。他の文化圏では、わからないなりに、これはこういうことでないかと鑑賞者の間で意見交換が始まったりします。

それは日本人のアート鑑賞能力が低いからなどという声を聞くことがありますが、私は必ずしもそうは思っていません。

この場合の「わからない」は、おそらく「正しい意味が読み取れない」「どう読むのが正解かわからない」ということからくる不安なのだと思っています。

日本では幼い頃から徹底的に、「漢字という図像」を見たとき、文脈に合わせた正しい意味と読み方を脳内バンクから文字通り瞬時に引き出す訓練をしています。

そういう人にとって、目の前の「アートという図像」の正しい意味がわからない、正しい読み方がわからない、文脈が読み取れないというのは、とても不安なのではないでしょうか。アートを認識する脳の部分と、漢字のときの部分が近い人ほど、不安(または理解不能と片付ける)になるはずです。

アーティストがいくら「自由に解釈してくれていいんです」と力説しても、漢字学習は本当に徹底していますから、瞬時に正解を求めたくなるのも無理はありません。

以上は鑑賞するときの話でしたが、こんどはつくる側から考えてみましょう。

漢字については、新たにつくって増やすことは、現代日本では御法度です。漢字という図像は、外国から持ってこられ、歴史を経て正しいとされているものだけの使用が許されています。部首の違いや、トメハネなど細部の誤差も許されません。

それに対し、新しい読み方や熟語など、「応用」は、かなり自由に行われています(キラキラネームやネット上の俗語などもそうです)。

このことは、日本が図像の「創造」より「応用」が得意な文化であることと無関係ではないでしょう。

一方、西洋の言語はどうでしょうか。

西洋には漢字のような表意文字はなく、現代ではほぼ全域でアルファベットが使用されます。しかも、ひらがなカタカナのような1文字1音節ではなく、子音と母音が分かれているので、ほとんどの場合、1文字では読み方や意味を表しません。

つまり、文字という「記号の組み合わせ」によって、音と意味を認識します。マトリックスのような抽象的な思考をするのに適する言語と言えます。

ここにも、西洋人と日本人の生み出す視覚芸術の違いのヒントがあるのではないでしょうか。

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