« 2/14ライヴ「Pray」〜言葉と音楽による | トップページ | ことば以外の言語 »

2017年1月10日 (火)

こころのクセとレイヤー

昨日、横浜元町で開催された「ヨーガ&禅 -心を整えるマインドフルセッション-」(川野泰周先生・今村翠先生)というワークショップに参加し、多くの新鮮な氣づきを得た。なかでも「こころのクセ」「意識のレイヤー」には、はっとした。

参加のきっかけは川野・今村両先生に昨年知り合い、感銘を受けたから。

川野先生は禅寺の住職でありながら精神科医であるという方。アメリカから逆輸入のようなかたちで注目されている「マインドフルネス」の、日本の第一人者である。

今村先生はインドでヨガと出逢い、本場のヴァイブを我々に親しみやすいかたちで伝えている方。

ワークショップはまず川野先生のマインドフルネスについてのレクチャーから始まった。現在アメリカを中心に「マインドフルネス」の実践が、個人にとどまらず、医療、ビジネスなどで一定の効果を上げていることは、もっと知られていいだろう。

その後今村先生のヨガに。私は10年以上ぶりのヨガ。世の中でヨガブームが起きる直前くらいに六本木のスポーツクラブで、アメリカ人の先生から習っていた。彼女もやはりインドで学んだ人で、ヨガを習いたいというより、彼女から感じるエネルギーが面白いからその場にいたかったという感じで通った。だから、今村先生のヨガも私にはすごく入りやすかった。

動き始めるとまず、10年以上前と身体の動きが違うことに驚いた。もっと動けなくなっているかと思っていたら逆で、当時より身体は柔らかくなっていた。ヨガのようなことはその間まったくしていなかったが、日常的に身体運動はしているし、メディテーションも毎日やっている。そういうことが影響したのだろうか。

今村先生のヨガで氣づいたのは、私のなかにある「こころのクセ」。

それは、やりながら「このポーズは正しいのだろうか」と考えたり、先生が回ってきているのが分かると「少し緊張する」などのこと。つまり「自分は正しくパフォームしているか不安になる」というクセだ。そのクセは私の心身を硬直させる。今村先生のヨガでは、正しいフォームでやるかどうかにはまったくフォーカスされていなかったのにもかかわらず、である。

途中からそれに氣づいて、正しさよりも「心地よさ」や「エレガントさ」を優先するようにしてみた。だから後半はすごく氣持ちよかった。

しかし、このクセはどこで身につけたのだろう。心当たりがあるとすれば、永年やっていたスポーツだろうか。いや、ちがうかもしれない。

その後、川野先生主導による禅に移行した。先生は我々に抵抗が出ないようにするためか、メディテーションという言葉を使わず「座禅」とそれを呼んだが、中身はメディテーションそのものだった(英語では一緒なんだけどね)。座って呼吸に意識を向け、雑念が湧いてきたらそれを否定せず、また呼吸に意識を戻す。

そして、座禅が終わろうとしているとき、ひとつの氣づきがあった。意識の中で、音楽と言葉が別な階層にあるということがはっきりとわかったのだ。

禅の前後に、音楽と、両先生による美しいマントラと声明があった。また、雑念が言葉というかたちで心に浮かんだり、先生の言葉もときどき聞こえてくる。

だが、同じ「聴覚」に属するものであるのにもかかわらず、音楽を感じる意識のレイヤーと、言葉を感じる意識のレイヤーは、別なところにあった。意識の中では「層」に分かれていた。

両者が違う階層にあったのは、考える言葉や聴く言葉には意味があり、音楽には意味がなかったからだろうか。意味付けの有無が階層を分ける。

だとすると、理解できない言語だったり、歌詞のついた音楽やメロディアスな音楽だったら、また違うことを感じたはずだ。

だが、いまこの文章を書いているとき、両者のレイヤーの違いをはっきり感じることはできない。それは、ヨガと禅により、身体と意識が一体化し、研ぎすまされたからこその氣づきだったのだ。文字通りマインドフルな体験をした。

_0011249s

© all rights reserved

|

« 2/14ライヴ「Pray」〜言葉と音楽による | トップページ | ことば以外の言語 »