« ことば以外の言語 | トップページ | アーティストとインスピレーション »

2017年1月13日 (金)

編集と制約による創造

創造性は、アーティストのためだけのものではない。あらゆる仕事、立場の人の役に立つ。

さて、創造とは、簡単に言えば、ないものをつくること。だが、必ずしも、皆があっというような発明するとか誰も見たことのない作風の絵を描くといった、0(無)を1(有)にすることだとは限らない。

むしろ、「1+a=2b」のような、すでにある「1」と「a」を組み合わせると、「1a」でなくて「2b」になる、みたいなことのほうが多いと思う。「1」と「a」は、違うカテゴリーに属しているが、組み合わせると「2bになった!」となる。

例えば、アップルコンピュータの電源ケーブル。磁石で本体にくっついていて、引っ張ると離れる。これはスティーヴ・ジョブズが、ポットの電源ケーブルに着想を得たもの。ジョブズはまったく新しいものをつくりだしたのではなく、既にあるものどうしを組み合わせたのである。

演者であり、かつ劇作家としても数々の能を書いた世阿弥は「風姿花伝」で次のようなことを言っている。

「学問や才能に必ずしも恵まれていなくても、巧みに編集できれば良い能は書ける。」(水野聡・訳)

優れた能を書くのは、秀才や天才でなくても、編集能力さえあればできる、ということだ。「風姿花伝」ではその後、どのようなものを引用し、どのような言葉を使ったらいいかといった具体的なアドバイスが続く。

スティーヴ・ジョブズは、創造性とは「点と点をつなぐこと」と言っていた。それは世阿弥の言う「編集能力」そのものではないか。

また、自由に好きなようにつくっていいという無制約な状況は、創造に必ずしもいいとは限らない。むしろ、制約のあることがプラスに働くことがある。

世阿弥、シェイクスピアがそうだった。2人が活躍したのは大衆メディアのない時代。共に、形式、舞台装置、時間、劇場、情報といった、制約のなかにあって広く大衆にアピールする作品をつくっていた。制約があったからこそ、いきいきした創作ができていたように思う。

有名なソニーのウォークマンも、サイズ、価格を先に決めて、あのようなデビューになった。

これら例のように創造は、既にあるものをどう結びつけ、活用、工夫するかということだったりするのである。

R0120234

|

« ことば以外の言語 | トップページ | アーティストとインスピレーション »