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2017年2月16日 (木)

量は努力じゃない

量のない質はないと思っていて、そういうことを口にすると、マッチョ、ストイック、あるいはSかMかみたいなニュアンスに捉えられて困ることがある。そういうことではなくて、好きで好きでたまらなくて、放っておいてもどんどんやってしまうというようなことになかに、キラリと光るものが生まれてくると思っている。

スポ根よろしくむち打って血の千本ノックとかじゃなくて、寝食も忘れるほど好きなことには質が伴う可能性がある。あるいは職人が毎日一定の緊張感のなか同じ作業を繰り返していくなかで質が上がっていく。

何度も話しているが、私は中学生の頃から料理をしていて、今も毎日2食は家族のためにつくる。だから、キャリアと量からすれば、さぞ質も高いだろうと思われがちだが、実際はそんなこともない。理由は簡単。料理は、好きで好きでたまらなくてやっているわけでもないし、緊張感もないからだ。その証拠に、つくらなくていい環境に行くと氣が向いたときしかつくらなくなる。

質のよい作品をつくる人に量があることはだいたい共通している。しかも、つくる量はもちろんだが、どんなジャンルの人でも、その人の人生のある時期に、すごい量の「インプット」があった点も共通している。それも、わりと偏った「好きで好きでたまらない」ものばかりインプットしたことが。例えば高校生のとき毎日毎日特定の指揮者のレコードを片っ端から覚えるほど聴いたとか。

ものづくりをする上での量の話をすると、とにかくたくさんつくること(アウトプット)だと思われたり、日本の学校給食のようにいろんな栄養をまんべんなくインプットすることだと思われがちだが、そうではない。どちらかといえば、すごい量の偏食があったうえでの、すごい量の、偏ったアウトプット。

私もいろんなジャンルのものづくりを経験したが、インプット/アウトプットどちらにおいても、量がこなせるジャンルとそうでないジャンルがある。そこで思うのは、量をこなせるジャンルは向いているし、こなすのが苦痛になるジャンルは向いていないということ。その場合はあきらめるか違うやり方を試すのがいいと思っている。そういうのは努力とはちょっと違う。

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