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2017年4月 4日 (火)

なぜ河井継之助に魅了される人が後を絶たないのか

幕末の越後(新潟県)長岡藩に河井継之助(かわいつぎのすけ)という人物がいました。「最後の武士」と呼ばれることもあります。

継之助は永い間、歴史の表舞台に名前が出てくることはほとんどありませんでした。ところが、司馬遼太郎さんが小説「峠」でその生涯を描いたことで、一躍全国にその名が知られるようになりました。

継之助の魅力をひとことで言えば、「型破りな発想と行動力」。

黒船の来航を端に日本中が沸き返り、混乱するなか、新しい日本をつくろうとする西の朝廷軍と、それまでの体制を守ろうとする東の幕府軍との間で、国のあり方をめぐる争いが起きます。

薩摩・長州を中心とする西軍は、朝廷の力を利用して、諸藩を次々と傘下に収めます。彼らは長岡藩も当然味方に付くだろうと考えます。

対する東軍の中心は会津藩。古くから結びつきの強い長岡藩に、その側に付くよう迫ります。

すると河井継之助は、驚いたことに、どちらの側にも付かず、「武装中立」を貫こうとするのです。そして、西軍・東軍双方に停戦を求めようと考えます。

西軍を説得するつもりで望んだのが「小千谷(おぢや)談判」と呼ばれる、岩村精一郎との会談でした。

ところが、親子ほど歳の離れた2人の話は噛み合ず、継之助のことを田舎藩によくいる出来のわるい家老だと思っていた岩村は、継之助の言い分をまったく聞こうとしません。

この小千谷談判での決裂をきっかけに、東軍側に付くことを決心した継之助は、その型破りな発想と実行力により、西軍を存分に苦しめます。

その後戊辰戦争というこの国の歴史上最も悲惨な戦争に突入していくことを、河井継之助は、きっと予見していたのでしょう。

歴史にタラレバは禁物ですが、もしあのとき小千谷談判が継之助の望むかたちで終わっていたら、日本は違う国になっていたかもしれません。

(つづく)

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4/30の音楽劇「慈眼寺」は、その小千谷談判が行われた寺の名前から取られたタイトルです。

30分ほどの短いお芝居ですが、時代の転換点のドキドキを全身で体験いただけると思います。

4/30 「慈眼寺」「さまよえる魂」
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Facebookイベントページ
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昼の部が満席間近です。ご予約はお早めに。

また、下の番組動画では、林修先生の人生を変えた人物として、河井継之助が紹介されています。継之助のどんなところに林先生は影響されたのでしょう。

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