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2018年1月 8日 (月)

夕陽に思う

先日仕事で撮影に行ったときに見た夕陽は、雄大でした。

空の広さ、光の神秘をあらためて感じさせる夕陽。写真にはそのリアルな姿は写り切りません。でも、少しでもそれを写そうと、夢中で撮影しました(下の写真はその合間にiPhoneで撮ったもの)。

撮影しながら、2つの夕陽を思い出しました。

ひとつは、20代前半に見た夕陽。

就職活動をせず、大学卒業後に作曲の道に進むと言って修行を始めたはいいものの、専門教育を受けたことがなく、大人になってから始めたピアノやクラシックの作曲法は不器用そのもので、理想の姿とのギャップに日々苦しむ毎日を送っていました。

やるしかないことはわかっているけれど、指は自由に回らないし、クラシックの素養もない。くやしさとコンプレックスが募るばかりで、やる氣が空回り。

修行を始める前は、でたらめなピアノを弾いて友だちに半ば無理矢理にでも聴いてもらうのがあんなに楽しかったのに、いつの間にか恥ずかしさと苦しさを感じるようになっていました。

それでも続けられたのは、夢と理想があったから。それに近づくために毎週出される課題のほか、とにかく最低毎日1フレーズつくることを自分に課したり、また家にいるときは何もなくてもたいがいピアノに座り、とにかく暇があれば弾いていました。

そんなころ、当時住んでいた家から歩いて15分くらいの鎌倉・稲村ケ崎に行っては、よく夕陽を眺めました。どこかの火山が噴火したせいで、連日ドラマティックな夕陽が見られたからです。それまで歩いたり話していた人々が、夕陽の時間になると砂や岩場に腰を下ろし、固唾をのんでそれを見守りました。

考えました。なぜ夕陽は私たちの心を動かすのだろう。私もいつか夕陽のような作品をつくりたい、と。

もうひとつは、2004年にラオスで見た夕陽。

2003年に初めてカメラを買い、写真を本格的にやるようになって最初の海外。それまで旅にカメラを持って行くことを半ば否定していた自分が嬉々として撮影するようすは、自分自身でも滑稽でした。

それまでも旅は比較的多くしていたものの、観光よりも、人との交流や、何かを経験することを重視していた私。でもこのときは撮影に夢中になりました。

首都ビエンチャン、古都ルアンパバーンに流れるメコン川。そこに沈む夕陽は、連日ドラマティックでした。実際には写真と関係ない仕事で行ったのですが、仕事の合間に抜け出しては、限られた時間で撮影しました。

写真の素晴らしいところは、いまいる世界を肯定し、受け入れる側面があるところ。作曲は、ゼロからつくるところからスタートしますが、写真はすでにそこにあるものを受け入れるところからスタートします。

写真をやるようになって、世界をより肯定的に見るようになりました。その「世界」には自分自身も含まれます。作曲の修業時代になかなか受け入れられなかった自分自身をも、写真をやるようになってからは、より認めることができるようになったんじゃないかな。

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