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2019年4月12日 (金)

抜け出てる小説家は何がちがうのか考えてみた

リコーGRの公式ページに昨日アップされたGRist柴崎友香さんの記事にある、柴崎さんのプロフィール(すごいプロフィール)を読みながら、あることを考えた。

日本人はほぼ全員が文を書ける。小説を書く人もたくさんいる。そのなかで、柴崎さんのようにプロデビューし、さらにはメジャーな賞を数々受賞する人と、そうでない人をわけるものは何なんだろうと。

才能、センス、運。こういうあいまいな言葉で片付けてしまうのではなく、もっと明確で建設的な理由があるのかもしれない、と。

これは小説だけに限った話ではない。音楽でも絵画でも写真でもそうだ。

村上春樹さんの「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング)を読んで、全体から強く受けた印象は、村上さんはこれまで「たくさん小説を読んできた」ということと、「意識的に自分の文体をつくりだしてきた」ということ。

おもしろいなと思ったのが(村上さんらしい)「キーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない大事な要素になっています」

言葉は、意味を伝えるだけのものではない。リズム、響き、音色、も言葉から人は受け取る。ただしこれは音楽をたくさん聴いてきた村上さんの書き方。別な小説家は別なことを大事な要素だと思っているだろう。

音楽でも絵画でも写真でもそう。

その媒体の第一義的な役割とはちがうけれど作品の印象を決定的に変える「なにか」が、上述のふたつをわけるものなのかもしれない。

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