エッセイと写真

2017年4月20日 (木)

原点を思い出す

ここ数日、原点を思い出させてくれることがいくつかあった。

1つは写真、1つは音楽。

数日前、ライカショップ銀座でセンサークリーニングの手続きをしていると、紳士がこちらに手を振っている。セイケさんだった。

その後近くのカフェで数年ぶりにゆっくりお話させていただいた。ライカのこと、カメラ業界の将来のこと、フィルムのこと、デジタルのこと。

そのなかで、印画紙、とくにカラーがなくなるかもしれないという話のとき、プラチナなど古典技法なら印画紙がなくなっても大丈夫と私が言うとセイケさんが「現代のプラチナプリントなら、ゼラチンシルバーのほうがはるかに美しい」という意味のことをおっしゃった。

私がゼラチンシルバープリントの美しさとそのポテンシャルにきづいたのは、セイケさんの作品だった。Paris、Waterscapesのプリントを初めて見たとき「やばい」と思った。いまだそれを超える写真体験はない。そのときのことを銀座のカフェで思い出した。

この1年くらいデジタルでの撮影が多くなり、美しいインクジェットプリントもたくさん見てきた。だが、やはりゼラチンシルバーをもっとやろう、やらねばと思った。

昨日、おつき合いさせていただいてるデザイナーでコレクターの鎌田さんの南青山サンドリーズでの美しいショーに伺ったとき、坂本龍一さんと武満徹さんの話になった。

オーナーさんは店内に坂本さんのフライヤーを飾り、鎌田さんは事務所で武満さんをよく聴くという。2人とも私の原点の音楽家。

そして晩には坂本さんの番組を観た。がんを患った坂本さんは死を意識して創作している。私も一日一日大切に創作せねば。

そんな折に、鎌倉に住んでいた時分に仲良くしていた武田双雲さんのがネットで流れてきた。ほんと、そうだよな。

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2012年8月20日 (月)

遠い花火

たぶん小学校低学年の、夏休みも終わりに近づいた頃のことである。

私の生家は、戦前に建てられた伝統的な様式の木造建築で、稲作の盛んな新潟平野の最南端に位置する小さな集落にある。西側には低い山々、東側には一面水田が広がっている。

その東側の広い水田地帯の向こうに、やはり南北になだらかに続く山々があって、人々はそれを東山と呼ぶ。

その遠い東山の中腹で、毎年この時期に小さな花火祭りがある。ちょうど叔母の誕生日と同じ日のため、私は幼い頃からこの花火祭りの存在を忘れることがなかった。

さて、その晩。当時の子どもは夜更かしを固く禁じられていたため、花火を見たい氣持ちを抑え、しぶしぶ蚊帳の中にある床に就いた。なかなか寝付けない私の耳に、遠くから花火の音が聞こえてきた。

いてもたってもいられず私は、誰にも氣づかれないようにそっと蚊帳の下から手だけを出し、うつ伏せのまま障子戸を開けた。

遠くの東の空を見ると、その低い位置に赤や青の小さな粒たちが、音もなく開いては消えていった。一瞬、東山がかすかに照らし出されては闇に消えた。そして、何秒も経った後、ぽん、ぽん、と夏の湿氣を帯びた音だけがした。

しばらく沈黙が続き、また別な小さな光の輪が無音で、開いては消えた。蚊帳を通して見るから、よけいに淡く見えた。

当時の私の語彙には「美しい」という言葉はなかったが、その闇の彼方に小さく開いては消えたおぼろげな無音の光と、遅れて届くやわらかな火薬の音と、間にある深い沈黙は、夏の終わりの、はかなくも美しい記憶である。

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