写真展

2016年6月28日 (火)

写真展を終えて

写真展「断片化の前に Before Fragmenting」を終えました。いらしてくださった方、プリントを購入くださった方、応援してくださった方、ありがとうございました。

終えた充足感はありますが、浸れるようなものはまったくありません。頭は会期が始まってすぐに次の創作に行っていました。ものをつくる人はそういう人ばかりでしょう。満足したらおしまいです。

お客さまは概して好意的かつ品のある方が多く、作者である私のほうが癒されるような場面もありました。このブログを読んで来てくださった方も何人もいました。

収穫も反省も挙げれば切りがありませんが、収穫を少しだけ書いてみます。

今回は自分なりの新しい写真へのアプローチができました。わずかですが、歴史的、考古学的、人類学的、言語学的な視点を与えることで、ランドスケープは違って見えるという実験を行いました。結果、そうすることでランドスケープは「記号」になり得るということがわかりました(実際、ある方に「楽譜のように見える」と言われました)。でも、やりすぎると学術写真になってしまい、写真が文に添えられるかっこうになってしまうので、今後もバランスには注意が必要です。

プリントに自分なりのトーンをつくれたのも収穫でした。万人受けするトーンではありませんが、好きな人には好きでいてもらえるでしょう。

もっとも、私は同じトーンを続けるつもりもありませんので、次回はどうなるかわかりません。

レヴィ=ストロースが「悲しき熱帯」を書いたのがおよそ私の年齢。それまでの学術書とも旅行記とも一線を画す文体で書かれたそれは、新たな知性のかたちを我々に示しました。私ももっと考えつづけ、つくりつづけないといけません。

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2016年6月 1日 (水)

やったこと、やらなかったこと、できたこと 〜写真展をつくる(18)

いよいよ3日より写真展「断片化の前に Before Fragmenting」が始まります。

この展覧会では、今までの個展と同じようにやったこと、新しくやったこと、今回はやっていないこと、があります。

まず、今回もアナログのブラック&ホワイト、ゼラチンシルバープリントです。

デジタルから考えると相当手間かけてます。もちろん、写真に限らず、手間をかけたからといってそれがいいものになるわけでは必ずしもありません。でも、ちゃんとした素材を仕入れてちゃんと仕込んでちゃんと調理したものが美味しくなるようなことと、同じことをしているんだと思っています。美味しいと思っていただければうれしいですし、個性的な味と思っていただくのも光栄です。

荒木さんがよく言われてることで、アナログ写真はそのプロセスでずっと「水」を使う、ということがあります。私にとってもそれは大切なポイントなんだろうなあと今回あらためて感じました。

あと、フォーマットが35ミリなのも、プリントサイズが小さめなのも、これまでと共通しています。

新しくやっていることもあります。印画紙と現像液が過去の個展では使っていないものです(印画紙については前にここで触れています)。マットの切り方も少々違います。

今回やらなかったのが、ギャラリーに流す音楽をつくること。過去の個展では、作曲して録音して、CDをつくったりしています(これこれなんかがそうです。なのでこれらは、ギャラリーで流す音源を探している方にオススメです)。

冬青さんは、普段から音楽を流していません。私は実はそれに好感を持っています。

日頃ギャラリーやカフェに行って、ここは居心地がいいなあと思ったら音楽がかかっていなかった、という体験をときどきします。

日本の店舗や人の集まるスペースでは、どこでも「BGM」が流れています。たぶん、音楽を選んで使って居心地のいい空間をつくろうという積極的な意図があってやっているところは少数で、むしろ、BGMがないことを理由に何かが不足していると思われるのがいやで流しているとか、そもそもBGMがあるのがサービスだと疑わずにやっているといった、消極的な理由が多いのではないでしょうか。

音楽は空間を直接間接支配します。近所の少年たちが深夜にたむろって困っていたコンビニのBGMをクラシックにしたら来なくなったという話があるほどです。

そんなわけで、今回はCD「Before Fragmenting」をつくりませんでした(意外なことに、ライヴ会場よりギャラリーのほうがCDが売れるので、ちょっとさみしくはあるのですけどね)。

最後に、今回できたこと(いろいろあるのですがとりわけ)。写真は、ウェブや印刷で見たほうが、実物のプリントよりよく見えることがよくあります。でも今回は、実物のプリントで見ていただくのがベストじゃないかなと思っています。ぜひいらしてください。

☆安達ロベルト写真展「断片化の前に Before Fragmenting」冬青ギャラリー6/3〜25

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「断片化の前に」プラニング・スケッチより

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2016年5月22日 (日)

「写真は写真にあらず」 安達ロベルト x 木下アツオ プレトーク(2)

来る2016年6月10日(金)に、個展「断片化の前に」スペシャルイベントとして、安達ロベルト×木下アツオ フォト・サロン東京スペシャル「写真は写真にあらず」を行います(ウェブサイトはこちら)。

このトークイベントでは、新しいものごとをつくりだすためのヒント、クリエイティヴに発想するためのヒントをたくさんお話します。

我々2人が普段どんなことを考え、どんなことをしているか、時間の許す限り出し惜しみせずお話します。

写真に限らずいろんな分野で新しい発想をしたいと思っているあなた、ぜひいらしてください(それに、質疑応答で、木下アツオさんにあなたの「課題」を読み取ってもらうこともできるかもしれませんよ?!)。

さて、今回の記事は、前回のつづき。木下アツオさんにさらに質問してみました。

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神戸メリケン画廊でのトークイベントより

安達ロベルトから木下アツオさんへの質問(後編)

ロベルト 以前、「写真とはサンプリング」とアツオさんが言ってたように記憶しています。その発言をヒントに、写真を音楽で考えると、いろんなことがよくわかります。

これまでの「カメラマン」は、音楽でいうと「録音技師」の役割が大きかったように思うのです。対象をいかに正確に、きれいに録れるか。でも誰もが写真を撮れるようになった今、写真家、とくに「写真作家」に求められているのが、「作曲家」や「アレンジャー」の役割です。

ところが写真ではこれまで、「録音」と「作曲」を、ごっちゃに考えてきたように思うのです。その境界を意識できると、今求められていることに近づけるように思っています。

ところで、前回、「視覚、聴覚、嗅覚が感情をつくる」という話が出ましたが、アツオさんにとって大切な感覚って何ですか?

アツオ ぼくの場合は、嗅覚かもですね。

ロベルト 嗅覚ですか。原初の感覚ほど強く感じるんですね。

アツオ はい。

ロベルト 視覚が強い人は、言葉だけでなく「視覚で考える」、嗅覚が強い人は「嗅覚で考える」、ということをやっているように私は感じているのですが、そのような実感はアツオさんにもありますか?

アツオ あります。しかも、同じように視覚で考えている人でも、人によって、「Adobe RGB」と「sRGB」のように、それぞれの「色空間」のようなものがあると思っています。

ロベルト 色空間ですか!

アツオ 一人ひとりに訊いてみるとおもしろいでしょう。「あなたがクリエイティヴなことを考える空間はなんですか?どこにありますか?」と。

ロベルト 自分がより自由になれる空間、独自の空間があって、そこで思考し、創造する、ということですね。

アツオ 一人ひとりがクリエイティヴになれる、個性を発揮できるヒントがそこにあると思いますよ。あとは「考える単位」ですね。

ロベルト 単位ですか。

アツオ ある人は例えば輝度で写真を考えるし、またある人はBPM(テンポ)で音楽を考えます。自分自身がものごとを測るときやクリエイティヴな発想をするとき、得意な単位は何か、それを知ることも重要です。

☆ 話はまだまだ尽きません。つづきは6/10に!

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「写真は写真にあらず」

安達ロベルト×木下アツオ フォト・サロン東京スペシャル

2016年6月10日(金)19:00〜
ギャラリー冬青

【定員】 先着35名
【ご予約方法】 お電話またはメールにてお願い致します。
 電話番号:03-3380-7123
 メール:gallery@tosei-sha.jp (件名:安達ロベルト氏トークショー申込み)
【参加費】 2,000円

【内容】 大学で国際法を学んだあと、音楽、絵画、音楽劇の脚本・作曲・演出と、メディアを 自在に縦横断しながら写真作品をつくりつづける安達ロベルトと、 写真家でありながらクリエイティブ・ディレクターとして、 写真展、写真学校、イベント、音楽、ギャラリー、カフェ、農業をディレクションする木下アツオが、 「写真バカ」じゃないからこそできるクリエイティヴな写真制作とは何かについて語ります。 2人がどのように新しいアイディアを生み続けているのか、何を考え、どのように制作しているのか、 その創造性の核心に迫ります。

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2016年5月 8日 (日)

「写真は写真にあらず」 安達ロベルト x 木下アツオ プレトーク(1)

来る2016年6月10日(金)に、個展「断片化の前に」スペシャルイベントとして、安達ロベルト×木下アツオ フォト・サロン東京スペシャル「写真は写真にあらず」を行います(ギャラリーのウェブサイトはこちら)。

2010年にリコーGXRの全国巡回写真教室で会って以来交友を深め、いろいろなイベントをともにやっている木下アツオさん。神戸在住で、写真学校やギャラリー、御苗場のレビュアーなどで有名ですが、その活動領域は写真にとどまりません。私が知らない側面もまだまだありそう。トークイベントの前に、アツオさんにいろいろ質問してみたいと思います。

本番はどんなトークになるのか、今からワクワクしてます。

ちなみにタイトルは、中唐の詩人・白居易の「花は花にあらず」をもじっています。

Atsuo

木下 アツオ

つくる人・1971年兵庫県豊岡市生まれ。(クリエイティブディレクター、写真家、建築家)建築リノベーション会社、株式会社ライフテック 代表取締役、神戸港倉庫リノベーション「国産2号上屋SO-KO」などを企画・運営。有限会社時代 取締役、meriken gallery & cafeディレクター、波止場の写真学校・学校長、メリケン写真スタジオなど運営。現在は映像・音響・写真・建築などの技術を総合しクリエイティブディレクターとして全国で活動中。

・特技
たくさんのコトを同時に考えて、それぞれを繋げること。
どんな球でもホームランは無理だけど、ヒットにすることはできる。
時間はかかるけど1番になることはそんなに難しいことではないと思っている。

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神戸メリケン画廊でのトークイベントより

安達ロベルトから木下アツオさんへの質問

ロベルト アツオさんは私が知る最もクリエイティヴな人の1人で、多くの分野で活躍しつつ、それぞれのジャンルに属する人たちと共通言語を持っている希有な人物だと思います。写真に限らず、これまでされてきたこと、いま尽力されていることなどを教えてください。

アツオ ロベルトさんとぼくとの共通点と勝手に思っていることがあります。それは「視覚的に感じたこと、聴覚として感じたこと、臭覚として感じたこと。この3つの感覚が感情を作っている」ということです。

ロベルト それは私もそう思いますね。加えて「時間軸」という共通項もあるかもしれません。アツオさんも私も、動画や音楽の編集もするので、時間が流れることによって感情が生まれる力学を日常的に感じているんじゃないでしょうか。

アツオ ロベルトさんが持っているぼくに対する関心は、「モノ」じゃなくて「コト」を作っているからだと思います。

今、力を入れていることは、波止場の写真学校を全国に普及させること。学校運営です。

それから、人の課題が見えます。

ロベルト 「モノ」をつくることと「コト」をつくることの違いは何でしょう?

アツオ モノは形がはっきりあるので評価がしやすいですね。

コトは評価されるのに時間がかかるかもしれません。それにダイレクトにありがたいと思われることも少ないですね。

モノよりコトの方が作るのが大変で、しかも壊れやすいし腐りやすいです。

ロベルト なるほど。コトのほうが「壊れやすいし腐りやすい」というのは非常によくわかります。私は20代の頃、多くの組織に属したり、組織をつくったりしました。で、そのほとんどの組織でリーダー的役割をしました。そのとき感じたことはまさにそれです。

私が音楽活動をしながらも「バンド」や「会社」といった固定組織を持たない理由は、まさにそれです。組織は一度固定化すると、その後は壊れる方向、腐る方向に進みやすいので。このへんはトークのときも話したいですね。

ところで、「人の課題が見える」というのはたいへん興味深いです。最近あった例を差し支えない範囲で教えていただけますか?

アツオ よく見えますよ。いつも見えていて日常なので、、、

ロベルト そうなんですね。昨今の写真家や写真についてはどうですか?

アツオ カメラがどんどん良くなっています。いいカメラとPhotoshopとネット環境、SNSがあれば誰でも有名写真家になれます。

その意味で、現職の写真家は、写真家としての価値が問われていることが多いと思っています。

最近は写真家と呼ばずにブロガーさんって呼ぶようにしています。

ぼくも勘違いされたくないので、写真家と名乗らず「つくる人」と名乗っています。

カメラメーカーが写真家をダメにしているし、写真雑誌も写真家をダメにしています。

(つづきます!)

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「写真は写真にあらず」

安達ロベルト×木下アツオ フォト・サロン東京スペシャル

2016年6月10日(金)19:00〜
ギャラリー冬青

【定員】 先着35名
【ご予約方法】 お電話またはメールにてお願い致します。
 電話番号:03-3380-7123
 メール:gallery@tosei-sha.jp (件名:安達ロベルト氏トークショー申込み)
【参加費】 2,000円

【内容】 大学で国際法を学んだあと、音楽、絵画、音楽劇の脚本・作曲・演出と、メディアを 自在に縦横断しながら写真作品をつくりつづける安達ロベルトと、 写真家でありながらクリエイティブ・ディレクターとして、 写真展、写真学校、イベント、音楽、ギャラリー、カフェ、農業をディレクションする木下アツオが、 「写真バカ」じゃないからこそできるクリエイティヴな写真制作とは何かについて語ります。 2人がどのように新しいアイディアを生み続けているのか、何を考え、どのように制作しているのか、 その創造性の核心に迫ります。

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2016年5月 7日 (土)

見えるモチーフと見えないモチーフ〜写真展をつくる(17)

今回は3つめの意図、作品のコンセプト(知的インテンション)についてお話します。

写真展「断片化の前に」(写真展情報はこちら)は、ジャンルで言えば「ランドスケープ」に属する組写真で、モチーフは「文明」です。文明の発展には「土」と「水」が必要ですから、それらの要素も多く含まれています。

選んだのは、歴史的、考古学的、人類学的、社会的、いずれかの意味のある土地。東京が中心です。今あるものをそのまま写してはいますが、その画から、過去にそこにあったものや、遠い過去から現代までの変遷を想像できるかもしれません。

たとえば、新宿の俯瞰図。そこには縄文時代にコミュニティがありました。でも、写真にその痕跡はまったく見えないでしょう。当時ここでどのような暮らしをしていたのでしょう。

徳川家康は江戸から富士山が見えることを重要視したそうです。江戸の人々は富士をどのように見ていたのでしょう。また縄文時代までさかのぼると地形がかなり異なっていましたから、当時の富士山はどうだったのでしょう。

写真に見えるのは現代の新宿、現代の富士ですが、そこからこのようにイマジネーションを膨らませることができます。目にみえるモチーフと目に見えない(けれど頭のなかで見えるかもしれない)モチーフ、両方を写しています。

ただし、そのような見方を強要するわけではありません。前回前々回にお話したように、シンプルに、ランドスケープのゼラチンシルバープリントとしても楽しんでいただけると思います。

ところで、ステートメントに引用しているのは、人類学者・マリリン・ストラザーンの言葉。著書「部分的つながり」のなかの「人類学を書く」という章にある1文です。

焦点を広く当てるか狭く当てるか、離れて見るか近くで見るかで、対象が一緒でも、導き出されるものが変わります。それは写真と共通していて、今回の私の作品につながります。

また、記録や比較のために発展し、撮り手の「私」と被写体の「彼ら」との関係を模索している写真は、人類学の発展との共通項が多いとも思います。

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☆安達ロベルト写真展「断片化の前に Before Fragmenting」冬青ギャラリー6/3〜25

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2016年4月20日 (水)

プリントの意図と天ぷら〜写真展をつくる(16)

前回に引き続き、制作の意図について。今回は、プリントのときに意図したこと、つまり「物質的インテンション」のお話をします。

白黒写真はよく、カラーから色情報を抜いただけのものに思われます。スマートフォンで撮った写真をアプリでいじって白黒にするときなんかに限って言えば、だいたいそんなもんです。

でも、先日お話ししたように、それがプリントという「物質」になると、ちょっと違います。同じ「黒」でも、プラチナの黒、銀の黒、顔料の黒は違います。それはちょうど、絵画で、油彩の黒、水彩の黒、墨の黒、鉛筆の黒が違うのと似ています。

私が個展で選択しているのは「ゼラチンシルバー」ですから、銀の黒です。今回プリントをつくるとき意図したのは、その黒が存在感を持つこと、そしてそれによって印画紙が、「物質として」存在意義を持つようにする、ということでした。

いまアナログ写真をやる意義の1つは、ここにあると思っています。デジタルにはない「物質性」と、顔料インクにはない風合いです。

なので、現像液などの薬品も、それに相応しいものを選んで使いました。印画紙も大切ですが、現像液も大切です。

また、存在感がほしいからといって、必ずしも「重く」すればいいとは限りません。人間でも、重々しい人だけに存在感があるわけではありません。軽やかに振る舞う人にだって存在感があります。

結果的には、ここでお話したように「黒い」プリントが多くなったのですが、今回は黒い中にも一種の「軽さ」も含ませることができたように自分では思っています。同じネガの、むかしのプリントと較べてみるとそれがよくわかります。

よく友人と、暗室のプリントは天ぷらみたいなもんだと話します。素材、衣、油、温度、揚げる秒数で味が決まります。暗室ワークと似てますね。しかも不思議なことに、同じ材料で同じように揚げても、揚げる人によって味が微妙に違います。これも現像と一緒。

そんなこと書いていたら天ぷらが食べたくなってきました。

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2016年4月16日 (土)

3つのインテンション〜写真展をつくる(15)

写真展「Before Fragmenting」では、主に以下の3つにおいて、意図を持って制作にあたりました。

その3つとは、作画、プリント、コンセプトです。別な言い方をすると、視覚的インテンション、物質的インテンション、知的インテンションを持って制作しました。

今回はそのうちの、視覚的インテンション(作画)についてお話します。

展示予定の作品の約9割が、無限遠で撮られたランドスケープです。近くのものに焦点を当てることなく、風景全体をつかまえています。

前にも書きましたが、このような作風の展覧会は初めて行います。ギャラリーオーナーの提案がなければやろうとも思わなかったでしょう。

でも実際にプリントをつくってみると、非常に面白く、自分のポジティヴな面が出せるアプローチでもあることに氣づきました。ありがたい話です。

さてそこで、1つ目の意図、作画についてです。それは、無限遠パンフォーカスの画で、抽象的な印象を与えるという意図です。

風景をオープンに写しているわけですから、画そのものは具象。意図を持って取り組まないと、説明的になってしまうこともあります。具象でありながら印象を抽象的にしたいわけです。

いろんな考え方がありますが、写真においては、輪郭をぼかして印象をあいまい(vague)にすることが抽象化だとは私は考えていません。対象をしっかり描きつつ、複数の解釈が可能(ambiguous)な画にしたいと思っています。

とくに私の場合、写真によって、何かのメッセージや特定の感情を伝えよう、味わってもらおうと思っていませんから、具体的でありながら、いろんな解釈が成り立つ画にしたいと思っています。

たとえば先日のウィルダーズ教授のレビューでは、「孤独感を表現するのがうまい」と言われましたが、私自身にはそのような意図はゼロなわけです。撮影中にそういう心理になったこともありません(むしろ興奮しているかも?)。でもそのように解釈されたのは納得ですし、うれしくもあります。

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2016年4月 2日 (土)

写真家のトーン〜写真展をつくる(14)

昨日ギャラリーに行ったら、ポストカードができあがっていました。こういうのは何度体験してもうれしいですね。

さて、今回の個展に向けてプリントを始めた当初、目指していたのはRobert Adamsのようなトーンでした。それは、非常にクリアで、どこかを強調したような感じが一切ないのに、見る人の心にじんわり残るトーン。

でも、「私らしい」と言われるようなトーンに戻るまで、ほとんど時間はかかりませんでした。やはり、性癖とでもいうのでしょうか、自分が落ち着くトーンのほうにぐーっと引かれていきました。それは一般には「黒い」と言われそうなトーン。Robert Adaまではいっしょの名前ですが、その後がmsかchiかで、えらく違うというわけです。

でも、意外に思われるかもしれませんが、何かを強調したり、特定の感情を表現しようなどということは、まったく意識していません。

それはもしかすると、たとえば文章を音読するとき、何かを強調したり、特定の感情を表現しようとしなくても、自分なりにしっかりと誠意を持って読むだけで、音が高い低いも含め、個性を持って聞こえる、何かを表現しているように聞こえる、ということに近いのかなと思ったりします。

そう考えると、Robert AdamsもRobert Adachiも、暗室での心持ちは、実はそんなに変わらないのかもしれません。

ところで、日本のフォトグラファーが写真の「明るい暗い」を必要以上に氣にするのは、明るい暗いという形容詞が、人の性格を表すことにも使われるからじゃないかと個人的には思っています。

仮に、明るい暗いと言うのをやめて、「明度が高い低い」という言葉を写真で使うようになれば、日本の写真ももうちょっと自由になれるんなじゃないかなと思ったりもします。

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2016年3月18日 (金)

印画紙の話〜写真展をつくる(13)

たまには「ハードウェア」についての記事を書いてみたいと思います。

6月の写真展に向けて使っている印画紙は、ADOXのMCC110というものです。かつてアグファのブランドで出されていた印画紙と同じ乳剤を使っていると言われています(暗室を始めたばかりの頃、アグファの印画紙を一番多く使っていました)。

実はまとまった展示のために「マルチグレード紙」を使うのは、そうとう久しぶりです(2008年以来?)。近年は「号数紙」か、フィルターと関係ない技法を用いたプリントばかりやっていました。

ご存知ない方のために説明すると、マルチグレード紙というのは、フィルターを使ってコントラストを変えることのできる印画紙、号数紙というのは、あらかじめコントラストが決まっている印画紙のことを指します。

号数紙を使っていたのは、トーンがクリアだからです。でも、MCCにも号数紙に匹敵する抜けのよさがあります。そんなこともあってのマルチグレード紙です。

印画紙が少なくなったと嘆く声をよく聞きますが、それを理由に暗室をやらないのはリサーチ不足。海外からの通販も含めれば、まだまだ種類は多いです(白黒に限りますが)。

プリントに関して私は、「アナログ=銀塩(ゼラチンシルバー)」だとは思っていません。ゼラチンシルバーは、プラチナ、パラジウム、カーボンなど、様々なアナログ白黒写真の技法があるなかの、あくまで1つの技法にすぎないと思っています。

ゼラチンシルバーについては、慣れているし好きではあるものの、プラチナプリントの美しさには敵わないなと長い間思っていました。ところが、数年前、プラチナプリントで有名な栗田紘一郎さんのゼラチンシルバープリントを拝見する機会があり、自分の認識を改めました。なぜなら、栗田さんのゼラチンシルバーは、プラチナに勝るとも劣らない美しさだったからです。

それ以来、プラチナはプラチナ、ゼラチンシルバーはゼラチンシルバー、それぞれの美しさがあって、自分はゼラチンシルバーのそれを追求すればいいのだと思ってやっています。

白黒写真の作品をつくるということは、私にとって、単にカラーをグレースケールに置き換えることではありません。

なぜなら、プリントは「物質」であるからです。プラチナにはプラチナの、シルバーにはシルバーの物質性があって、それが作品の印象を大きく左右します。

うまくできているかどうかは別として、とにかく今は、目の前にあるシルバーを信頼してプリントしています。

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Dark

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2016年2月23日 (火)

ブリコルールと鱈〜写真展をつくる(12)

「ブリコルールたちの口ぶりを真似て言えば、彼らの道具や資材は『こんなものでも何かの役に立つことがあるかもしれない』の原理に基づいて収集され保存されているのである。」クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」より

タイトル、ステートメント、プレスリリース用の画像データをギャラリーに納め、いよいよ写真展も対外的にも宣伝していただく段階になりました。

その画像はフライヤーにも使うもので、5年ほど前のネガから選んで焼きました。もう何度も見たはずのスリーブの中にこの1枚が含まれていることに氣付いたのは、つい最近のこと。他の写真家のことは知りませんが、私にはこういうことがよくあります。

ネガは、見るたびに発見があります。時間を置くと好みが変わるということもありますし、どういう視点で見るかによって見え方が変わるというのもあります。「なんで前に氣付かなかったんだろう」というのが出てくるのです。今回選んだカットは、おそらく以前は「失敗」だと思っていた可能性が高いです。

ところで、上に引用した文化人類学者・故レヴィ=ストロースの言葉は、今回の写真展によく当てはまります。

撮りおろしもありますが、ブリコルールのように「何かの役に立つかもしれない」と思って撮っておいていたネガから目的にあったものを選び、組んで、写真展をつくっています。

ちなみに、ジョージ・バーナード・ショーは、こんなことを言っています。

「写真家は鱈(タラ)みたいなもんだ。何万個も卵を生んで、そのうちの1個が成魚になる。」

ボツになったネガ、失敗したプリントの山を見ては、この言葉を思い出しています。

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