原風景(2)「ひとり」
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4歳のときであった。父の転勤に伴い、祖父母を残し、両親と姉妹とともに実家を離れることになった。
ところが、なぜか私ひとりだけが、実家に祖父母とともに残ることになった。
そのときの記憶はまったくないのだが、母に聞くと自ら希望したのだという。もしかすると、「さみしくなるのぉ」という祖母の言葉に、子どもながらに責任を感じ、ひとりで残ると言ったのかもしれない。
それから数ヶ月間、親きょうだいと離れて生活した。一番親に甘えたい年頃、しかも、子どもの頃の数ヶ月は、大人の数年相当の時間の長さに感じる。ときどき母を思い出して寂しくなって、隠れて泣いたことを覚えている。
近所の保育園が肌に合わず、「登園拒否」をしていたため、同じ年頃の子どもたちとの接触はゼロだった。毎日毎日、古くて広い家の中でひとりで遊んだ。実質的な意味での「引きこもり」だった。
一番の友だちは、いくつかのおもちゃと、本と、落書きのできる広告の裏と、家の裏にある木々だった。よく家の中から風に揺れる木々を眺めた。もしかすると当時は、木と話をしていたのかもしれない。家ともよく遊んだ。
この「ひとり」ですごした数ヶ月が、私の感性の形成に最も深く影響を与えたのではないかと思うことがよくある。
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Comments
音は永遠に残るものではないかと思うことがよくあります。
あの日のあの音、それはまだどこかに響き続けている。
あの風もまたどこかに・・
美しい景色をありがとうございます。
Posted by: こはら | January 30, 2007 at 10:48 PM
こはらさま、ありがとうございます。私の敬愛する作曲家の佐藤聰明さんも同じようなことをよく言っておられます。彼のつくる曲には「余白」が多いのですが、その無音と思われる時間にも直前に奏でた音があたりに響いている、それに耳を傾けてほしいと演奏者に指示を出したら、音楽が突如生き生きとしはじめたと、あるところに書いていらっしゃいました。
Posted by: ロベルト | January 31, 2007 at 11:34 AM