Easy Come, Easy Go (3)
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本を読んでいるときによく、"Easy Come, Easy Go"という諺を思い出す。
それは、内容の好き嫌いとは別に、筆者がどれだけの知識を持っているのか、どれだけリサーチしているのか、どれだけそのことについて考えているのか、どれだけ文を推敲しているのかによって、easyに私を通過するだけの本もあれば、そうでないものもあるからである。
ある作家は、1を書くのに10は書くと言っていたし、ある作曲家は、仕上げるまでに一度書いた曲から音を次々に削り落とすと言っていた。この「淘汰」の作業は、当たり前のようでいて案外むずかしい。だが、この「淘汰」あるいは「選択」のプロセスこそが、作品が洗練され、細部が磨かれる場だ。このプロセスを経た作品は、心をなかなかeasyには通過しない。
逆に、ちっぽけなもの、粗末なものを、他人には大きく、いいものに見せようとするとき、おしつけがましいわりには、後味の悪さだけ残して早く通過してしまう。
いい具合に洗練された作品はまるで、見た目はさりげなく美しく、口当たりは軽やかでありながら、何層もの深い味わいをもつ料理のように、その努力の過程を恩着せがましく見せずして、自らの存在感を示す。
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Comments
この長巻きの缶、懐かしいですね。
学生時代からどれほど使ったかわかりません。
使い終わったこの缶には、フィルムを詰めたパトロネを入れて撮影に出かけました。たしか9本入りましたよね。
あの頃はちっぽけな自分を大きく表現しようとしていた時代だったかもしれません。
経験をつみ、まっさらな自分で対象と向き合えるようになった時、"Easy Come, Easy Go"の意味がわかるのかもしれません。
「1を書くのに10は書く」僕は今までにいくつを書いてきたのか、まだまだ先はこれからです。
Posted by: kohara | June 15, 2007 at 08:55 PM
koharaさま、コメントありがとうございます。パトローネは無理やり詰めると11本、さらに強引にやると1ダース入ります(笑)。結局手巻きはゴミが付着したりして具合が悪いのでやめてしまいましたが、このケースに入れて10本入りのトライXなんぞあったら、ぜったいそっちを買いますよ(>コダックさん)。
Posted by: ロベルト | June 15, 2007 at 11:40 PM
雨の一滴はただ水の分子の集合ではなく「雨」ということが何よりも嬉しく思っていますが、雨が降りませんね。
一が一として、その一がそれだけですべてになって、推敲もなくそのままの描写が表現となることはないのでしょうか。それは希有のものでしょうが、例のモーツァルトは一切の書き直しもなく、音の記号が即音楽の言葉としての作品になったということです。どんな状況においても音楽表現をするということが出来たことにわれわれは何を学べばいいのでしょうか。
Posted by: れいん | June 22, 2007 at 12:14 AM
れいんさま(すてきなメールアドレスですね)、興味深い問題提起ありがとうございます。さて、実は私もこれを書いているとき、モーツァルトのことを思い出しておりました。彼はおっしゃる通り「一がすべて」にできたまさに稀有の天才でしょう。私自身、別の名前で作曲家をやってますから、モーツァルトや、写譜屋が書くよりも早くスコアを書いたといわれるヴィヴァルディなどの才能には大いに嫉妬します。面白いのは、いわゆる「構築型」のベートーヴェンが、晩年になるにつれてより壮大な音楽をつくったのに対し、「天才型」のモーツァルトは、ある年代のピークを境に失速していった(ような印象を受ける)点です。私のようなモーツァルトになれなかった人間は、構築の仕方を学ぶことはもちろん、その上に、洗練の仕方も研究しなければいけないと思っているのです。
Posted by: ロベルト | June 22, 2007 at 01:28 AM