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April 20, 2008

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July 09, 2007

ボケとパンフォーカス

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>> リコーGR BLOGにインタビュー記事掲載
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美しくボケている写真を見てはっとすることがあるのは、ボケというものがほとんど写真(や絵)の世界独特のものだということとも関係していると思う。

人間の肉眼にももちろん、焦点が合っているところ以外はボケて見えているのだが、そのボケている部分をボケたまま視るということが、写真を利用する意外には非常に困難だ。

ためしに片目を閉じて近くのものを視て、焦点はそのままに後方に意識を移動させてみる。ボケが見えないこともないが、これは短時間でもけっこう疲れる作業である(ちなみに私の眼球レンズのボケ味はけっこう地味だ!)。

同様に、パンフォーカス(目の前のものから遠くのものまですべてに焦点が合っている状態)も、写真や絵の世界にしかない。見事なパンフォーカスの写真を見ると新鮮に思えることがあるのは、そのせいかもしれない。

人は案外、狭い範囲にしかピントを合わせられないし、ピントの合っている部分しか見ていないのかもしれない。

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Leica M6 + Summilux-M 35mm F1.4
F2 1/250s 400TX@100
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June 13, 2007

Easy Come, Easy Go (3)

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本を読んでいるときによく、"Easy Come, Easy Go"という諺を思い出す。

それは、内容の好き嫌いとは別に、筆者がどれだけの知識を持っているのか、どれだけリサーチしているのか、どれだけそのことについて考えているのか、どれだけ文を推敲しているのかによって、easyに私を通過するだけの本もあれば、そうでないものもあるからである。

ある作家は、1を書くのに10は書くと言っていたし、ある作曲家は、仕上げるまでに一度書いた曲から音を次々に削り落とすと言っていた。この「淘汰」の作業は、当たり前のようでいて案外むずかしい。だが、この「淘汰」あるいは「選択」のプロセスこそが、作品が洗練され、細部が磨かれる場だ。このプロセスを経た作品は、心をなかなかeasyには通過しない。

逆に、ちっぽけなもの、粗末なものを、他人には大きく、いいものに見せようとするとき、おしつけがましいわりには、後味の悪さだけ残して早く通過してしまう。

いい具合に洗練された作品はまるで、見た目はさりげなく美しく、口当たりは軽やかでありながら、何層もの深い味わいをもつ料理のように、その努力の過程を恩着せがましく見せずして、自らの存在感を示す。

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Ricoh GR Digital + Wide Conversion Lens GW-1
F2.4 1/233s ISO400 B/W Mode
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June 11, 2007

Easy Come, Easy Go (2)

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どんな仕事でも、第一線でやろうと思ったら、「せっかく」は禁句だと思う。

たとえばアーティストが、さんざん苦労してつくりあげたものにいまひとつ納得がいかなかったとする。さてどうするか。

ここで「せっかくつくったのだから」と言って、納得しないものを作品として世に出してはならいと、私は思う。過程に執着すると、結果を曇った目で見てしまう。

苦労をして手に入れたものであっても、時にはEasy Go-あっさりと放棄しなければならないことがある。これはけっこう辛い。周囲に苦労話の一つもしたくなるし、努力したんだから評価してよとも言いたくなる。

スポーツでも、商品でもそう。どんなに苦労を重ねて練習したり、莫大な費用をかけて開発したりしたものでも、結果がついてこなかったり、商品に魅力がなければ、それまでの話。残酷だが、いたしかたない(もっとも、救いがないわけではない。苦労したプロセスは、将来別なかたちで実を結ぶことがある)。

画家の友人はあるとき、制作に行き詰ったら、それまで一番こだわっていた部分を塗りつぶすというような意味のことを言っていた。自分のなかに「せっかく」という意識が出てきたとき、よくこの言葉を思い出す。

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Ricoh GR Digital + Wide Conversion Lens GW-1
F5.6 1/570s ISO400 B/W Mode
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June 09, 2007

Easy Come, Easy Go (1)

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英語の諺に"Easy Come, Easy Go"というのがある。意訳すると、「簡単に手に入れたものは、簡単に消えてしまう」というような意味だ。

特別好きな諺というわけでもないのだが、ことあるごとに思い出す。

富、人間関係、仕事、名声、、、。かたちは何であれ、「たなぼた」で手にしたものは、あっという間に使い果たすか、消えてなくなってしまう。消えるだけならまだいいほうだ。負に転じてしまうことだってある。

逆に、じっくりと腰を据えて取り組んだことの果実として得たものは、残る。

だからといって、それにしがみつくのもよくない。「去るもの追わず」。その加減がむずかしい。

と、ここまで書いて気づいたのだが、"Easy Come, Easy Go"は、「来るもの拒まず、去るもの追わず」にも訳せる。「来るときも楽に、去るときも楽に」。なんだか深い。

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Ricoh GR Digital + Wide Conversion Lens GW-1
F2.4 1/32s ISO64
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September 18, 2006

標準レンズ(3)

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スナップショットを得意とする写真家やジャーナリストで、28ミリを「標準レンズ」としている人は、案外多い。私も28ミリは街のスナップに使いやすいと感じているし、画面配置をうまくやれば、ポートレートでもかなりおもしろい画がつくれる。

28ミリも、どちらかといえば「ドメスティックな」視点なのだが、若干パースペクティヴが強調されるため、画に嫌味がない程度の非現実的なトーンを加えることができる。この個性をうまく使うと、さりげない中にささやかな主張のある写真をつくることができる。

ただし、気をつけないと焦点の定まらない散漫な画もつくりやすいし、被写体への近づき方が足りないと、へっぴり腰がばればれの、最高にかっこ悪い写真になる。

ライカでは無理だが、近接のできるレンズで思いっきり近づきすぎると、今度は逆に極端にパースペクティヴが強調された、いやらしい写真にもなり得る。

なので私もかつては28ミリへの苦手意識が強かった。

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Ricoh GR Digital
F2.4 1/104s ISO AUTO
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September 12, 2006

標準レンズ(2)

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一般的に「標準レンズ」というと50ミリを指すと前回言ったが、私の場合、特にポートレートに、50ミリが使いやすいと感じている。

50ミリは、被写体をちょっとだけ浮かび上がらせて強調しながらも、その周囲の空気も一緒に捉えることが得意なレンズだと思う。

ライカでは、古今東西、ありとあらゆる種類の50ミリレンズが使える。ちなみに、いつもお世話になっているSさんは、あるとき、ライカで使用可能な当時所有されていたすべての50ミリレンズで同じ被写体を撮って描写を見比べようとしたら、撮り切る前に日が暮れてしまったという笑い話をお持ちだ。

要は、世界には、ライツ、ノンライツを含め、それだけ多くの50ミリレンズがあるということだ。一度迷い始めたらたいへんな世界。最初に出逢ったレンズが自分にとって最適のレンズだと思えた人は、幸いである。

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Leica M3 + DR Summicron-M 50mmF2
F2 1/25s HP5 Plus
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September 08, 2006

標準レンズ(1)

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誰がどういう理由で決めたのか、35ミリ判カメラの「標準レンズ」というと、焦点距離50ミリのレンズを指すのが一般的だ。

でも私の場合、最初に惚れ込んで買ったライカのレンズが35ミリだったので(ズミルックス)、それが私にとっての実質的な「標準レンズ」になっている。ファインダーを覗く前から、35ミリだとどれくらいの範囲が写るか、だいたい見当がつくようにもなっている。

35ミリは、50ミリより一回り視野が広くて、ピントの合う範囲も深くて、かといってパースがそれほど強調されるわけではない。そこにあるものを、その印象のままに写すことが得意。田中長徳さんの表現を借りると、35ミリは「ドメスティックな」視点、ということになる。

そんな35ミリレンズでドラマティックな画をつくるのは、実はとても難しい。それを最近、ますます実感している。

だが、世界でもっとも有名なアーティストの一人でありながら、35ミリを「標準レンズ」として使っている写真家がいる。それは、ウォルフガング・ティルマンス。彼は彼自身の仕事を「美を再定義すること」だと公言しているが、それをその35ミリレンズでやろうとしている(そして実際にそれに成功している)ということは、デジタル写真を含むありとあらゆる表現方法が自由に選択できる現代において、一つの象徴的な意味を持つと私は思う。

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Leica M6 + Summilux-M 35mmF1.4
F4 1/1000s 400TMY
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March 24, 2006

物語性(その3~写真の物語性)

おかげさまで「安達ロベルトのモノクローム」一周年。
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過去二回、作品の物語性について述べてきましたが、では、写真における物語性とは、なんでしょう。

一枚の写真には、映画や小説とは違い、時間軸がありません。これはやっかいな問題です。厳密にいえば、シャッターを開いている間の時間がそこにはありますが、ほとんどの場合が一瞬です。それゆえ、これまでに述べた「ズレ」や「解決」を、一枚の中に表現するのは、かなりむずかしいといえます。

この写真の宿命ともいえる問題にたいするひとつの現実的なアプローチとしては、時間軸を意識した組写真というものがあります。でも、仮に現実にあった事象を忠実に時間軸に沿って並べても、必ずしもそこに「物語」、つまり「ズレ」や「解決」が生まれてくるとは限りません。

それらの要素を含んでいるとしても、単に「既にズレたあとの状態」と「既に解決されたあとの状態」を写しているにすぎない写真が大多数かもしれません。それは、「いまズレている」および「いま解決されている」状態をリアルタイムかつドラマティックに写すことが、困難だからというのもあると思います。

もう一つの現実的なアプローチは、文章を添えるというものです。一枚(ないし複数)の写真から、物語が想像できるようなタイトルや文章を書くのです。しかし、文章はあくまでもみる側に一定の方向性を示すにとどめたいところです。

芸術作品としての写真を目指すならば、理想的には、上記のような現実的なアプローチをしなくとも、一枚(ないし複数の)写真から、みる側が物語を想像できるような、みる側の心に物語性を喚起する、そんな写真をつくりたいところです。

ポートレートならば、その一枚に、その人の人生の光も影を写し出す、一人の人生の物語が共有できる写真でしょうか。風景ならば、その土地の物語が、みる側の意識の中にじんわり広がっていく、そんな写真なんだと思います。みる側の想像する物語が、実際のその人物や土地の物語とズレていてもかまいません。みる人にとってリアリティのある物語であればいいのです。

写真には、長い時間軸の物語を、一瞬の画に閉じ込める、そんな役割が期待されているのように思うのです。

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Leica M6 + Summar 50mmF2
F4.5 1/500s 400TX (Tri-X)
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March 10, 2006

物語性(その2~絶妙な意外性)

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さて、前回、『「ズレ」と「解決」に、物語性の核がある』と述べました。それについて、少し詳しく書いてみます。

今回は、前回書いた飛行機にまつわる短い物語を、もう少しだけ長くすることで、より楽しめる物語にしてみましょう。

では、「ズレ」る箇所、つまり『乗っていた飛行機の機体が突如大きく揺れ始め、その後左右に大きく揺れながら急激に高度が落ちていった。乗客は叫び、慌てふためいた』という箇所は、どうおもしろくできるでしょう。

たとえば、ズレる前、つまり飛行機に乗る前に、事故の予感がしたというのはどうでしょう。朝方、枕元に死んだおじいさんが現れて「今日は飛行機に乗るな」とか言ったという設定(村上春樹さんの「アンダーグラウンド」に出てきますね)は私的には好きですが、非現実的と思う人も多いでしょう。もっと現実的な、たとえば、普段は混むことのない空港までの道のりがその晩に限り混んでいて、遅刻のため一度は係にチェックインを断られた、とかいう設定もありです。

では次に、そのズレが「解決」される箇所、つまり、乗客が救われる箇所を、もう少し工夫してみましょう。

絶体絶命な状況に直面し乗客全員が歌をうたい始めたとか、機体に精通している乗客の一人がコックピットに入り込み意識不明の機長を救ったとか、UFOが現れて飛行機を誘導してくれたとか(笑)、いろんな可能性があります。あなたならどう設定しますか?

まぁ、ここで私が思いつくものは、さりとて面白いものでもないのですが、アイディアさえあれば、シンプルな飛行機墜落ドラマが、急に面白い物語になる可能性があることは分かっていただけたと思います。

予定調和的な物語の場合は、「印籠」が出てきてみんながひれ伏して「解決」となるのですが、それだけでは、つまらないと感じる人も多いかもしれません。受け手の予想に反する「意外かつ絶妙な解決」が、ほしいのです。でも、ただ奇抜なだけでは人はついてこられないかもしれません。絶妙でなくてはならないのです。この「絶妙な意外性」という点に、作家としての個性と力量が問われるのではないでしょうか。

古今東西のいろんな「名作」を思い出してみてください(この場合は小説や映画、漫画などでしょうか)。絶妙な「ズレ」と「解決」が、そこにはあるように、私は思うのです。

(つづく)

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Leica M6 + Summilux-M 35mmF1.4
F1.4 1/15 HP5 Plus
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March 02, 2006

物語性(その1)

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ここのところ、創作において大切にしようとしていることの一つに、「物語性」というのがあります。つまり、作品に「物語があるか」ということです。でもそれは、「ドラマがあるか」ということとはちょっと違います。

私は、創作の便宜上、ドラマは物語の中に含まれるけれど、ドラマだけでは物語にはならない、というふうに区別しているのです。これはあくまで私の中での定義ですから、異論もあるとは思います。その定義は以下のようになります。

ドラマは日常(通常=norm)からの逸脱、ズレの描写。

一方、物語は、normからドラマを経て、新たなnormへと還っていくストーリー。こんなふうに思っています。

たとえば、こういうことです。

「乗っていた飛行機の機体が突如大きく揺れ始め、その後左右に大きく揺れながら急激に高度が落ちていった。乗客は叫び、慌てふためいた」というのがドラマ。Normからのズレ。非日常的な状況。

「家族の待つ東京に帰ろうと、いつものように金曜日の最終の飛行機に乗った。すると、乗っていた飛行機の機体が突如大きく揺れ始め、その後左右に大きく揺れながら急激に高度が落ちていった。乗客は叫び、慌てふためいたが、乗務員の冷静な誘導により、各自が何をしなければいけないかを自覚した。短い時間に私は、これまでの人生を振り返り、家族の幸せを願った。もう誰もが死を覚悟したとき、飛行機は太平洋上に着水し、乗客全員が無事であった」というのが、物語。通常から「ズレ」て、ドラマを経て、そして「解決」される。

この即席でっちあげ「物語」は、たまたまハッピーエンドですが、もちろん、必ずしもそうである必要はありません。

そして私は、物語性の核が、この「ズレ」と「解決」にある、と考えているのです。

(つづく)

(注:一部の方はご存知の、もう一つのブログと同じ記事ですが、途中から違う話にしいこうと思っています)

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F4.5 1/125 400TX(Tri-X)
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