記号とことば(3)
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>> リコーGR BLOGにインタビュー記事掲載
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我々の社会には、心の伴わない言葉が溢れている。
店に入れば「いらっしゃいませ、こんにちは」と形式的に叫ばれ、レジを出るときには「ありがとうございました、またお越しください」とこちらの顔も見ずに機械的につぶやかれる。
エスカレーターに乗れば「足元にご注意ください」と録音が流れ、動機は明らかに違うのに「地球のために」と謳われた商品が無数にある。
これらの文言はどれも、表面的で、「ことば」というより限りなく「記号」に近いものだが、その洪水のような量の多さに、受け取る側も使う側も感覚が麻痺してしまっているのではないか。本当は自分自身の「ことば」を使わなければいけない局面で、一般的な「記号」を発してはいないだろうか。
マニュアルどおりの記号を口にすることで我々は、責任を問われるリスクを軽減できるし、表向きは他人にサービスしているつもりにもなれる。だが、それを隠れ蓑に、本当は誰とも真剣に向き合っていないことを、無意識にごまかしてはいないだろうか。
写真も同じだと思う。
誰でも簡単に写真が撮れるいま、お金を出して機材を揃え、マニュアル通りに撮影すれば、誰もが表面的にはきれいな写真を撮ることができる。巷は右を見ても左を見ても写真が無数にある。だがその多くは、「記号」にしか過ぎないのかもしれない。
「記号」のような写真と、「ことば」としての写真の境界線はあいまいかつ多義的で、私もうまく言い表すことができない。「心を込めるかどうか」とかいう簡単なことでもないと感じている。
たかが写真でそんなに真剣になることもないと思われる読者もいるだろう。しかし、写真に携わるものとして、自分自身の価値における「記号」と「ことば」の違いは、常に考え続けたい。それは、「ことば」としての写真を撮らなければいけない局面で、「記号」に逃げることなく、常に自らの「ことば」を発することができるようにするためである。
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Ricoh GR21
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