analogue and digital

October 27, 2007

paradoxical

デジタルカメラの問題は、逆説的ではあるが、「写りすぎる」点にあると思っている。

カメラは、それが発明されたときから、目に見えるものをよりよく写すというベクトルに進化してきたのだが、ある時点から先は、生の視覚や美的感覚から離れて、写真という画像情報処理技術の世界の中だけで進化するようになった感がある。

だが、よく考えてみると、半世紀も前につくられた私のような人間が好んで使うレンズのいわゆるクセは、これまた逆説的であるが、当時としては、現代のレンズのようによく写るレンズを目標にしたが技術的につくれなかった結果、やむを得ず残した部分でもあったりする。

いずれにせよ、この先もっと写るようになるであろうデジタルカメラとつきあっていくつもりのフォトグファーは、新しい表現を模索しなくてはならないだろうと、最近、よく写るデジタルカメラの仕事をして痛感した。

■おしらせ■

10/30(火)〜11/8(木)
ギャラリーコスモスの「コスモス展」に一点出品してます。未発表のモノクロ作品です。他にも多くの写真家が出品してます。ぜひいらしてください。
www.gallerycosmos.com

R0010773s


Ricoh Caplio R7
Robert Adachi all rights reserved

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April 09, 2007

デジタルとアナログ(3)

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>>安達ロベルト・オフィシャルサイト
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たとえば、雨の日があるから晴れの日のありがたさがわかるように、なにごとにおいても、対になるものがあってはじめてそのものの真価が分かることがある。

その意味で、デジタル写真が生まれたからこそ、アナログ写真のよさがあらためて浮き彫りになったということもあるのではないか。

ちょっと前まではアナログ写真にまつわるタイムコンシューミングで儀式めいた一連の作業が煩わしく思われてきた面もあったと思うが、実はそこにこそ写真の醍醐味が潜んでいたことに、いま多くの人が気づきはじめている。それはある意味、デジタルという時間を短縮する方向に進化するフォトグラフィーが現れたからこそ、相対的にその真価が顕在化したとも言えよう。

住宅でいえば、たとえば新興住宅地では、面倒くさい人間関係やしがらみがほとんどなく、日々気楽に生活できるのだが、古い田舎町にあるような儀式、つまり伝統や祭りはない。どちらに故郷としての吸引力があるかといえば、私には後者に思える。

人間は、ある種の儀式を必要とし、そこに魅力を感じることもあるのだと、この年齢になってようやく実感した。

0701s
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Leica M6 + Summar 5cm F2
F4.5 1/125s TMX
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April 05, 2007

デジタルとアナログ(2)

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アナログ(この場合は銀塩写真)の魅力は、そのプロセスに多分にあると思っている。

私がアナログとそのプロセスの魅力を語るとき、よく引き合いに出すのが「版画」だ。

版画では、下絵を描き、それを転写させ、出来上がりを想像しながら丁寧に彫り、さらにそれにインクを載せて紙に刷らなければならない。複数の版があれば、その数だけ上記のプロセスを繰り返す。

仮に絵画というものが、単に紙の上の、色がそこにあるかないかだけの代物ならば、こんな面倒な作業はせずに、最初から紙の上に色を載せていけばよい。

だが、版画には版画の、ほかの何にも替えがたい魅力がある。それは、その面倒なプロセスのなかに「何か」があるからだと私は思っている。

写真の場合も、たとえばモノクロ写真ならば、紙の上に単に黒があるかないか、0か1かだけの代物ではないと思っている。

版画同様、フィルムの露光、現像、印画紙の露光、現像、、、それらデリケートでケミカルで、やり直しのきかない面倒くさいプロセスのなかに、「何か」が潜んでいるように私は感じるのである。

Trixs


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Mamiya RB67 + Sekor C 90mm F3.8
F3.8 1/250s FP-100C
Robert Adachi all rights reserved
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April 02, 2007

デジタルとアナログ(1)

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>>安達ロベルト・オフィシャルサイト
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ここのところよく「将来もしフィルムや印画紙がなくなって、すべてがデジタルになったとしても、私は写真を撮っているだろうか」と自問自答している。

その答えはまだ出ていないが、その際に思い出したことがある。ミュージシャンの喜多郎さんのことだ。

喜多郎さんはシンセサイザーを駆使している印象が強いが、それでいて彼の音楽にはアナログっぽい独特の空気感がある。

それには多くの理由があるのだろうが、そのうち、私が驚いたのは以下のことだ。

まず喜多郎さんは、デジタル楽器も、録音する際はすべて手弾きするそうだ。「打ち込み」と呼ばれるコンピューターにデータとして覚えさせたとおりの音を鳴らすのがもはや一般的な電子音楽において、それは非常に稀な、きわめてアナログ的なアプローチだといえる。

また、電子楽器を使っていても、一度スピーカーで流したものをマイクを通して録音するのだそうだ。デジタル楽器をケーブルから直接録ることでは得られない空気感が得られるらしい。山奥のスタジオで窓を開けて録音するので、ときどき鳥の声が入ったりするが、それもよしとするそうだ。

彼がどんどん山奥へ山奥へと行くのは、仙人のような性格ももちろんあるのだろうが、自然の中で大音量で音を流しても迷惑のかからない土地を求めている側面もあるという。

どれほど前のことだったろうか、東南アジアの片田舎のカセットテープ屋で、ほかはなくとも喜多郎さんのカセットだけは、マドンナやマイケルジャクソンと並んで置いてあったのを見て、同じ日本人として誇らしく思ったことがあった。彼の音にたいするこだわりは、文化を超えて支持されるのだろう。

ちなみに、喜多郎さんがシンセサイザーを弾くようになったのは、バンドで楽器を決めるとき、ジャンケンに負けたかららしい。人生には、それを大きく左右する不思議な偶然があるものだ。

Rosess


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Mamiya RB67 + Sekor C 90mm F3.8
F3.8 1/8s FP-100C
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